不安はチャンス

日々

成仏

あんまり気乗りしないことが毎日決まったようにやってくる。それはあなたが望むとも望まないともやってくる。どうしていつもこうなんだと嘆いてみたりする。けれどもそれが生きることそのものなんだということも頭のどこかで知っている。それに対してできることを探す。そしてあなたなりにそれに対処する。それがいつもやってくる。なんとかやり終えたと思ってつかの間の安心で床につく。でも、すぐに明日はどんなことが起こるんだろうと不安になる。そんなことを思いつつ気がついたらいつも眠ってしまっている。そしてまた幸運なことに目覚めて、またあなたの人生がそこから始まる。そしていつものように支度をして仕事なり学校なりやるべきことに対して準備をする。するとまたトラブルが発生する。あなたはいつも同じ言葉でつぶやく。またか、とね。

光陰矢の如し

それをいつも繰り返している。はっと気がついたらとんでもない時間が過ぎている。まさに光陰矢の如しだね。ふと、そういえば去年の今ごろは何をしていたかなと記録をたどってみる。ほとんど覚えていなくて記憶も曖昧だけれども、スマホの画像やカレンダーなんかに書いてあるスケジュールを見て、だんだんおぼろげな記憶が蘇ってくる。ああ、この頃はこんな場所にいたんだと思いだしてくる。少しの間に時間の流れと、あなたの軌跡がそこに生まれるね。そして、おそらくは未来にもそんなことがあるのかなと夢を見ている。もしその繰り返しから脱却したいのなら、普段の生活そのものを見直す必要がある。けれども、おそらくはその瞬間だけそう思うだけで、実際にはそのうち眠くなって、気がついたらまた同じようなあなたが目覚めるに違いない。

恒常性バイアス

振り返れば振り返るほど、あれほど大変だったことがあったのにも関わらず、あなたは今こうしてここにいる。そんな経験を繰り返すうちに、まぁ、色々予測不能なことがあるだろうけれども、なんとかなるだろうとたかをくくるようになっている。もしくは、あれほどの災難はもう二度と起こらないだろうと思ってしまう。ところが思っているようにはいかないことも知っているね。そう、このカルマから逃れるには日常のあなたの行動を少しずつでも変えなければならない。そんなことあえて言われなくても十分理解している。でも、理解しているのと行為は全く異なる次元にあるから、わかっているけれどもやめられないわけだ。その状態そのものが生きることであり、ひっくるめて苦である。それでもこれまでなんとなっているからこれからもなんとかなるのは間違いではない。なら何を不安に思うのか。それは、人生を少しずつ変化させる原動力かもしれないね。