記憶の彼方

日々

昔話

もう随分も前のことで、誰に聞いてももはや曖昧な記憶でしかない。それでもたまにああ、そうだった、なんていう話も飛び出してきてそれはそれで楽しい一時を過ごすことができる。でも、それと同時にあんまり思い出したくもないことも思い出してしまったりする。ま、いつものことなんだけれども、良いことの裏側にはそうでもないことも全部セットになっているわけだ。それでも昔話が楽しいのは、もはや良いも悪いも超越した何かがそこにあるから、いくら話をしても尽きることはないからだ。でも、それは本当にそうだったのか、真相はどうだったのか、そんなことがメイントピックスにはならないのは、すべてをひっくるめての今があるわけで、さらにその昔話も今生まれているからなんだ。

事実

だから、ああ、そんなふうに思っていたんだと今気がついたところで、もはや状況も関係性も因果関係もすべてを超越した全く別のものになっていることに気がつく。当時に同じ話をされたとしたら、はてさてこんなに楽しく、穏やかにいられるかどうかも今となってはどうにも試してみることすらできない。ただ、不思議な軌跡として、当時そんなふうに数十年経って今のような話をするなんて思いもよらなかったことは間違いない。ここでその昔話をしてワイワイ楽しむために、壮大な伏線として何かをやってきたわけではないということは事実だ。しかも、今のこの話をまだ見ぬ未来でまたもう一度リピートできるのかどうかも、まるで見当がつかない。もしかしたら同じ話を繰り返すときがくるかもしれないし、もう二度とそんな機会は訪れることなく記憶の彼方へ消えてしまうかもしれないからね。

出会いと別れ

人も物事も偶然出会って、ひょんなことから別れが訪れる。考えてみればこれまではその繰り返しだけだったような気がするね。でも今もそうだけれども、このことが今後にどう展開していくのかなんて、考えてみたところでまったくもってわからない。だからこれからも、いつでもそんなことがあったと話ができるように今をできるだけ丁寧に生きるしかない。過去の話であっても、未来の夢を語ったとしても、それらはいつも今という場所で生まれていて、やがて過去のことだと気がついたときもその時に再び生まれ変わる。もしかしたら昔話も夢物語も時空を超えて、今にしかないということになるかもしれない。いや、間違いなく曖昧な記憶やまだ見ぬ未来はずっと今にしかないと断言してもいいかもしれないね。