社会のサイクル

日々

工程

失われた30年とか、成長しない時代のことをそう呼ばれることが多い。成長しないということは現状を維持しているということだけれども、それは本当に取るに足らない悪なんだろうか。かつての経済学者のシュンペーターが創造的破壊なんていう言葉で、イノベーションを説明したけれども、物事にはそれぞれのフェーズがあることに気づくね。今はとにかくこの国は遅れをとってしまって、もはや世界では後ろから数えた方が早いぐらいの地位まで落ち込んでしまった。どうしてイノベーションが起こらないのかということにスポットがあたって、連日議論になっているようだ。ところが、何事もなく現状維持するということは何の努力もなく維持できるわけでもない。しかし、現状維持はむしろ後退であって、少しでも破壊して変えていくことが進化であるという論点がかなり熱狂的に重要視されてしまっているようだ。

地鎮祭

ときに自然は猛威をふるい人々の生活を根こそぎ破壊することが度々やってくる。そのためにかつての人類はそれぞれの神にどうか穏やかにお過ごしくださいと願っていた。農村にとっての一番の被害は大きな川の氾濫だね。水はすべての生命の源であると同時に、その巨大な流れはときに集落を全滅させるパワーをも秘めている。現代の土木建築技術をもってしても、その脅威を超えることはできないし、またすべての河川において治水およびそれに伴う灌漑工事ができるわけではない。その流域は膨大だからね。だから土地の神様にお祈りを捧げて、事故や氾濫などがないようにと現代でもまだ願っている地域がある。ここでは変革や破壊は望まれない。できれば何事もなく、その大いなる恵みに満たされて集落が安心して暮らせるだけで十分だし、それが維持できていることが神の恵みであり奇跡なわけだ。

サイクル

創造的破壊があって、やがてそのイノベーションは社会や暮らしに溶け込みより豊かな時間が生まれる。それを人々が広く享受する期間が現状維持と呼ばれるわけだ。そしてそれが浸透した頃にまた、既成概念を破壊する何かが生まれる。今まで通りでいいのか、という問題提議だね。さらにそれをより良く改良できる方法が見つかったなら、現状を破壊して再構築する必要が出てくる。そうやって、破壊と創造と維持がずっと繰り返されて今があるわけだ。現代では低空飛行のままの維持が問題視されている。それでも安定していたのは事実だ。安定は多くの人が願っているものだけれども、一方でこのままではどうにもやっていけないという危機感を持つ人も同時にいる。維持が大切だと信じて疑わない人は老害と呼ばれ、破壊と創造が必要だという若者とぶつかることで歴史が動くわけだ。それが社会の脈動であるわけで、どちらかが良いとか悪いとかそういう次元の問題ではないね。