2番じゃダメ
ナンバーワン
クラスで1番になったことはあるかな。どんな集団に属していても1番になると照れくさいというかやっぱり少し嬉しくなったりするのはどうしてだろう。現代は競争社会だから、うかうかしているとすぐに真似されて1番ではなくなってしまう。まさに生き馬の目を抜く熾烈な社会だと感じてしまう。だから普段からずっと緊張状態が続いて病気になってしまう人も少なくない。でも、1番とか1位とかそんなものは結果であって目的ではない。そんなこと言われなくてもわかっているよと、あなたは言うだろう。けれども、1番でなくてもいいからせめてビリからは脱出しなければと焦っているのはどうしてだろう。そんな1番なんて滅相もないと言いつつも、それでも最下位は避けたいとどこかで思っているとするならば、やっぱり1番でありたいという願いがそこに見え隠れしているね。
予防線
成功した人の話がもてはやされるのも同じ構造だね。失敗よりも成功したエピソードに魅力を感じているのならば、やっぱり心の奥底で1番が偉いという思想を肯定している。すごいとか立派だとかそういうのは、競争社会に勝ち抜いた人としての特別視からくる。特に競争しなくても幸せはいっぱいそこかしこにあるのにも関わらず、それらを投げ売ってでもトップを目指すことが美談だと思っている。それが普通だと思っている時点で1番教の信者であることは間違いない。それでも、いやいやそんなことまでは望んでいない謙虚な姿勢だというのも、奢り高ぶればすぐに足元を救われてしまうことへの牽制でしかない。それはもはや本当の意味での謙虚さではなく、妬み恨みで引きずり落とされることへの単なる予防線でしかない。
評価
1位とか1番とかは、好きにやってきたことに対する結果でしかない。さらにどこで1番かにこだわるとすれば最大でも宇宙で1番ぐらいでしかないわけだから、それがあなたの世界の限界であってそれを超えることはできない。そんなことよりもあなたがあなただけの1番であれば、それは宇宙や世界をはるかに超えた1番だよ。それはそもそも何かや誰かと比べる対象はもはや存在しないわけだし、クラスとか会社とか世界を超越しているわけだからね。でもそんな自己満足は意味がないとあなたは思っている。わざわざ誰かに比べられることを自ら望んでいるということだ。比べられたくないという強い思いがあるからこそ、世界で1番を目指したというのにね。もうすべてを振り切って孤高の人になるためにあらゆるものを打ち捨てて獲得しようとしている。ほら、もうその時点である意味最下位なんだということに気がつくかな。