二番煎じ

日々

直感

思いつきでやったことも、最初はうまく行った。だからあなたはそれが正しいことだったと信じてしまう。そこで欲が出てその成功要因を分析し始めてしまうね。手探りでやったけれども、実はそれが良かったんだと確信を得るわけだ。で、次はさらにそれを高度化して、もっとうまくいくようにと画策し始めてしまう。肩の力を抜いて、何もわからないわけだから、何も考えずにえいやとやったところがメインの成功要因だったにも関わらず、2回めになると緻密な計画と演出された計算がてんこ盛りになってしまう。すると、どうも初めてやったときとは勝手が違ってどうにもこうにも不発の連続になってしまう。するとますます再計算をし始めるのと当時に、最初に思いつきでやったことを愚かなことにトレースしようとし始める。もうこうなると負の循環が始まってしまい、何もかもがすべて裏目に出てしまうね。またさらに作戦変更なんてしてしまうと、もはや目も当てられない状況に陥ってしまう。

委ねる

なにもわからないから、自然に委ねていた。委ねていたからこそ余計なことをしなかったが故にうまく行った。それに次はないね。なぜなら、次の段階で下心がふつふつと湧いてしまうからだ。たまたまうまく行っただけなのに、それをベースとしてうまくいく法則なんかを見つけた気になっている。そして同じことをすれば絶対うまくいく魔法の法則だと勘違いする。隣でそれを見て真似をしようとしても同じことだ。もはや昔話でも同じような文脈で語られているほどの、古典的かつ伝統的な「確実に失敗する法則」に当てはまっているからだね。ここ掘れワンワンではないけれども失敗要因は自然の力を無理やり曲げてしまっているからにすぎない。ならどうすればいいのかとあなたは言う。初めてやってうまく行ったことに感謝をし、それ以上は望まないことが成功の法則ではなく、大失敗を防ぐ方法でしかない。そう、次はないんだよ。二度とね。それが自然の法則だ。

浮かばれない

なら、努力は一切報われないのかとあなたは嘆く。それはある意味でそうだし、ある意味で違うとも言える。その努力の前提として報酬を期待するからうまく行かないわけだ。やったことは必ずなにかしら報われるのは間違いないけれども、あなたの期待にそぐわないことのほうが多い。なぜならその努力の方向が最初から間違っているからだ。これを我慢すればそれ以上の褒美が得られるはずだとか、こうやればちやほやされるとか、そんな期待がそもそもずれていることにあなたは気がついていないだけだね。でもなんとなく思いつきでやってみたら、思った以上の成果がでたからそんなはずはないという未練が、すっかりあなたの視界を捻じ曲げてしまっている。だから諦めきれなくてジタバタしている。それは先に言った通り負の循環の原因だね。そうではなく、目の前のやるべきことをただただ無心でやり続けるだけ。それですでにすべてが順調でありうまくいっているんだ。だから、今すぐに取りかかることができることをやればいいだけなんだよ。