賽は投げられた
諦める
誰しもができることなら自らの人生をより豊かで幸せなものにしたいと思っている。言い換えれば、人生ゲームで一番の勝者になろうとしているね。もう気がついたらそのゲームのプレイヤーだったからこそ、そのゲームの枠組みとルールに従って最善をいつも目指すことになる。それをやっているうちは人生ゲームを降りることはできない。だからゲーム続行を余儀なくされてしまい、順にサイコロを振り続けていろんな目が出ることから逃れられないね。そこで一喜一憂しているわけだ。ところが、たまにその人生ゲームから早々に降りて、外から単に眺めているやつがいる。ゲームをしないとはどういうことなのかはあなたには理解ができないし、ちょっと近寄りがたくてとっつきにくい存在にも感じてしまう。あなたは人生ゲームに夢中になっているから、そこに参加せずに何が起こっても単に眺めている彼の行動や気持ちは全く知る由もない。
動揺
そんなことより、今度はあなたの番だ。願いを込めてサイコロをふる。なんとラッキーなことに思っていた目がズバリ出た。するとあなたは最高に有頂天になる。そのひとときに最高の幸せを感じて、もはや全能の神になったがごとく謳歌しているね。ところが、その次のプレイヤーにそのラッキーな出来事を台無しにされて、急転直下、絶望の縁に追いやられてしまう。そのプレイヤーに恨みを持ったところで仕方がないということは理屈ではわかっている。だって単にゲームだ。出したくて出せないのがサイコロをふるゲームの醍醐味でもある。悪気がないことも十分にわかる。けれども、その上でやっぱり憎たらしいという感情を完全に消すことができないね。不思議なことに、あいつがあのときそんな目を出さなければ、なんて思ってしまって理性と感情が真逆の対立をしてひどく動揺しているわけだ。
存在
そんな激しい情緒の移り変わりの中、ふとゲームに参加せずにいる彼に目をやる。彼は何事もなく静かな表情でずっといる。サイコロをふることは誘えばするだろう。けれども、それがどんな目が出たところで一切の興味関心をもたないみたいだ。変わったやつだなとあなたは思って、今度こそこの不運な状況から脱出してやると、また全力の祈りをこめてサイコロをふる。それで出た目は良いも悪いも微妙な、まずまずの目だった。特に喜びも悲しみもない平凡な目だ。これまでの刺激はそこにはないから、なんだか一回損をしたような気になってしまっている。次の順番のことばかり考えてちょっとイライラしてしまったりする。だからまたあの絶頂の幸せとスリルを求めてサイコロをふり続けるわけだね。だからやっぱり人生ゲームはやめられない。そこに参加しない彼に目をやる。彼はずっと静かに笑っている。こんなにスリリングなゲームをやらない彼をあなたはそれがどうしても理解できない。いつまでたってもわかりあえない不思議な存在だ。いったい彼は何を見て穏やかに笑っているのだろうか。