あるけど見えない
五感
現代は視覚がメインの時代だね。人間にはそれ以外にも聴覚や触覚や嗅覚や味覚なども感じ取るセンサーとして備わっている。けれども、ネットが中心の社会となって情報がまたたく間に世界に拡散される時代となっても、文字や映像という偏った情報でしかないことに注意した方が良い。SNSにはまさに匂いも漂ってきそうなきれいな料理の写真が溢れているし、きれいな花々が咲きほこっていて、あたかもその場所にいると錯覚するような魅力的な映像ばかりだ。それを見てあなたはお気に入りに次々に追加していく。それでほとんど知った気になってしまう。でも、その写真をいくら眺めてもそこに吹いていた風はどうやっても感じ取ることができない。もちろん湯気や枝葉のなびき方でなんとなく風の向きは感じ取ったりすることも不可能ではないけれども、実際の風の力や視覚以外のそれらが運ぶ独特の雰囲気そのものはわからない。
体感
そうやって憧れの場所に実際に足を運び確かめたくなる。そのきっかけとしてSNSは悪くはない。なぜなら、見ているだけではなくて、知っているつもりだけではなくて、実際にその場に行ってみたいという行動が起こるからね。実際に行動した結果はどうだろうか。思っていた通りだろうか。それとも思っていたのと違っただろうか。そしてその違いはどんな感じだっただろうか。でも結局は映像という情報がきっかけだったけれども、実際に体感したことで、あなたの世界は見て知っているよりも大きく変わることの方が多いんじゃないかな。そこであなたは、やっぱり実際に見ないと何もわからないんだなという確信を得たんじゃないかな。そう、どんな状況であっても、体感できるのならしたほうがあなたの生命は一層輝くようになるわけだ。
全体と部分
最近ではドローンの技術も発達して、例えば大自然の美しさを高い上空から撮影することが比較的安価にできる。そしてあなたは改めてその映像に見入ってしまう。それは見知らぬ土地だけでなく、何度も行ったことがあるところでさえ、あなたの背丈から見たことがあるそれとは全く印象が違っていて驚いている。俯瞰するとこんな風にさらに美しく見えるのかとね。そう、同じ映像の情報であっても視点が異なるだけで全く違ったものとなる。何をどう見るのかということで世界が変わるということを意味しているわけだ。さて、あなたは身近にいる人にほど、不平不満が溜まって爆発しそうになっている。かつて飽きるほど行った公園のようにね。もうすでに何もかも知っている。もうすべてを掌握しているつもりになっているからこそ、いまいちなことを無数にあげて批判できるまでになっている。さて、視点を先のドローンのように俯瞰してみればどうだろう。きっとあなたの世界がまた一つ大きく変わるだろうね。