強者の理論

日々

勘違い

丁寧に考えて一番の最善を尽くすように全力で取り組んでいる。それがあなたの信条であるし誇りでもあるから、どんどんあなたの善は大きく膨れ上がっていくね。何をするにも思慮深く、軽率なことはできるだけ避けてきたが故に、あなたは徐々に強くなったと自覚している。ところがそれらがすべて勘違いだとしたらどうだろう。おそらくはあなたは顔を真赤にしてそんなことはないはずだと主張するだろうね。もちろん、あなたは尊敬に値する善きことを模索している人の一人には違いない。そのため多くの人からもそう思われているのかもしれない。でもあなたは残念ながらパーフェクトな存在ではない。もちろんそれもあなたは謙虚に受け止めているからこそ、普段からより善いことを探し求めているわけだ。かなりそれがいい線行っているのは事実かもしれないけれども、まだまだどれほど逡巡したところでわからないことだらけなのも正直なところだろう。

徳を積む

おそらくはこの世に生まれてきた以上、あなたは善をできるだけ多くつみ、悪をできるだけ遠ざけることが使命だと思っている。そして少しだけでもそれができるようになれば成長の喜びをそこから感じているわけだ。でも、それが進めば進むほど、一方では完璧ではないことも際立ってきている。やっぱり神や仏のようにはなれず、生身で様々な欲望が渦巻く現世では、なかなかすべてを断ち切ることができずに悩んでいたりもする。だからどうしてもあなたの都合のよい方へと流されてしまうのも仕方がない。いや、むしろあなたの欲望に素直になることが生きる喜びに直結していることが、より良くわかってしまってもいる。だからこそ、そうならないように強い信念で吹き飛ばそうともがいているわけだ。そうしてあなたはできるだけの徳を積もうと日々針のむしろなわけだ。

弱き愚かな者

あなたのように、自らをしっかりと律して生きられる人はそれほど多くない。周りを見渡せばいっときの欲望にまみれて、より善きことすらできずに苦しんでいる人ばかりだろう。ところが、そういう弱き人ほど強い存在が守るべき存在でもあるわけだね。もしあなたが神であるのならあなたには救いの手はほとんど不要か、ほんの少しだけでいいわけだ。ところが、弱き人にこそ多くの救いの手が必要なのだから、もしあなたが本当に強き人ならばそういう弱者を救ってあげるのが本筋だね。ところがあなたはそんな人を救うどころが遠ざけてしまう。いや、もっと言うならば叱責したりして攻撃を加えたりすらしてしまっているかもしれないね。もちろんそれはあなたの不断の努力がそうさせてしまっているのだろう。しかし、あなたが追求してきた善き人生はそういうことを許すのだろうか。それなら弱いままで弱いあなたを見つめている方が、結局は善き人生なのかもしれないね。