その向こうにある本質

日々

スペック厨

今持っているものよりも新製品はさらにもっと高性能になって優れていると喧伝される。そうすると新しもの好きのあなたは居ても立っても居られないね。新製品を我先にと求める深層心理には、周りのみんなよりも最先端の性能を誇らしく思えるからだ。家電でもスマホでもPCでも車でもバイクでも新しいものは最新であって、性能も一番だと思っている。その一方で懐古主義というか、古き良きものを求めるがあまりに、直さないとどうにもならないようなオンボロが目が飛び出るほどの高額な値札がついている。それはモノそのものよりもあなたの思い出だったり、過去の栄光に縛られているからそうなるね。かつてのあなたにとっていい思い出を再現するための費用だと多くの人は納得している。どちらかというと新製品よりも、そういうレトロなものの思い出は二度と蘇らないと思っているからどんどん高値になる傾向にある。かつての骨董品みたいにプライスレスなんだろうね。

便利さ

もちろん、PCやスマホなどの電子機器は日進月歩で性能が向上するから、数年前のものを使い勝手が悪いまま我慢して使う価値はない。一方で、古道具は未だに現役だったりする。それはそれ自身に流れる時間が全く異なるからだね。おそらく筆や大工道具や仕事での専用で使うそれらは、使いこなすというか、使い慣れた方があなたにとって手触りがいいし、効率も悪くない。一方で古いPCは愛着はあるものの、現代の情報処理には到底使い物にならない。その違いはすでに完成形に到達しているか否かだろうね。そういう意味ではどれほど機能が追加されたとしても冷蔵庫や洗濯機はこれ以上の進化をするにはまだまだ時間がかかりそうだ。一方でのこぎりやカンナやノミは大工道具として完成している。もちろん、大きな工場でレーザーで削り出してしまえるのならそうなるだろう。けれどもまだまだそれを運び出して運搬するコストと現場の大工がその場で仕事をするコストが見合わないのなら、古き良き道具たちも性能としてはパーフェクトだということだね。

本質

その道具を通じて一体何をやっているのかという本質がそこにある。それは表面的に見えるものではなく、おそらくはそれを通じた活動の向こう側のなにかだろう。削り出すのはCNC旋盤であったりレーザー加工の方が正確無比だ。けれどもその正確無比はすべてに求められるものではない。しかも、そもそもの材料の伸縮や変化を計算に入れるとそれが必要なものはかなり限定的でもある。一方で現場の職人がこれまでの目分量と勘で実物合わせでやった方が効率とその後の耐久性が十分に担保されるものができる。どちらが良いとか悪いとかではなく、まさにそれらの調和によってすべてが構築されていくわけだ。最新であってもちょっと古ぼけたものであっても、その向こう側の本質とちょうど合致していれば何ら問題はないね。だからスペックばかりに注目して行動範囲を狭べる行為には注意した方がいい。ましてや人を選ぶのでさえそうしているとすれば、あなたは確実に本質から離れてしまって、おそらく寂しい思いばかりしているんじゃないかな。