全力

日々

失敗

あなたが失敗と思っているそれらは、単にあなたの思い通りにならなかったことでしかない。あなたが経験だと思っているそれらは、成功とか失敗とかという判断を超えたなにかでしかない。その違いはどれほどだろう。大きな違いと感じるか、それほど違いはないと感じるか、それもあなた次第で決定する。いつものルーティンを少し変えたり、新しいことを始めてみようとしたり、こっちのほうがもしかしていいのかもと思っているだけでは失敗は起こらない。失敗はそう思っているところから一歩前に出て実際にやってみて初めて体験できる貴重な出来事だ。しかもそれはあなたが生きているうちだけにしか与えられない期間限定なものだ。そうして首尾よくうまく行けばあなたはそれを成功と思う。でもその成功の先に何が待ち受けているかは神のみぞ知る。それが果たして成功だったのか、それとも失敗だったのかなんてその瞬間にわかるものでもない。

成功

成功している他人のことを、あなたはなぜか特に気にしているし、誰に頼まれたわけでもないのにずっと覚えている。当の本人はそんなことすら忘れているというのにも関わらずにね。そしてそれを超える成功体験をしてやろうと孤軍奮闘しているわけだけれども、ほとんどの成功はまぐれであって、それを同じようになぞったところで同じことは起こらない。それは古来からわかりきっていることでもある。それなのに巷では成功者を有り難い存在だとちやほやともてはやしているのは、少しでもその恩恵にあやかりたいと思う下心でしかない。それもあなたはすでに知っていて、そんな邪な下心で真似をしたところでどうにもならないことは、理屈ではなく本能的に嗅ぎ取っているはずだ。一方で失敗は論理的にも再現可能であって、失敗こそデーターベース化して広く周知した方が多くの人に有益なものになる。そう、失敗のほうが幸せにする力を持っている。

人生の糧

さて、成功と失敗とあなたが浅はかに色分けしたそれらの貴重な挑戦の記録が、あなたの人生の体験のすべてだね。おそらくはあなたの人生が終わるときにその総括をすることになるだろう。どうせ失敗するならやめておいたほうが良いと思ってしまって、何もやらずに終わったことすべては、ひどい後悔となってあなたを重苦しくさせるだろう。逆に、うまく行ったとされる成功はあなたにとってはどうでもよいと感じるはずだ。最後の最後でそれをほくそ笑んだとしてもすべてがあなたの手からは消えていくわけだからね。だから、失敗すると思い込んでやらなかったことだけが、あなたの後悔ということになる。失敗であろうと成功であろうとあなたが生きた証は、実際にあなたがやったことの総量でしかない。失敗を恐れてもいい。生きている証だからね。そしてそれを笑ってそれを全力で受け止められるならば、あなたは確かに今を全力で生きている。