優しい世界
獲得
人は赤ん坊として生まれて、はじめは何もできなかったことが成長とともにできることを獲得していくね。ゼロから始まって言葉を話すことを覚えたり、ハイハイからつかまり立ちができてやがて一人で歩くことができるようになる。そのたびに周りの大人は目を細めて喜びにあふれている。学校へ通うようになるとテストで100点満点を取れば、周りからちやほやされて褒められる。できなかった逆上がりがある日突然できるようになると、その時の喜びはひとしおだ。ところが一旦それができるようになると、もはや当たり前となって今度は誰も褒めてくれなくなる。だからあなたは、また次の苦手なことに挑戦してきた。そしてそれを克服するたびに大きな充足と幸せを感じるようになる。やがてそれは未だにできない友人を見下すようになって自己保身の武器として濫用するようになった。最初はできなくてもあなたがそこにいるだけで十分幸せだったのにも関わらず、今度はなぜか劣等感とコンプレックスの塊となって他人を呪うのは実に滑稽なことだね。
喪失
そんななんでも吸収して柔軟にあらゆることを獲得できる若かりし頃は過ぎ去り、今度はできたことがどんどんできなくなっていく。今までは得意だったことがどうも思い通りにならない場面が増えていくにつれ、喪失感に苛まれて恐怖に変わっていく。老いるとはこんなに辛く悲しいことだと初めて気がつくわけだ。経験的にはそれらのことは朝飯前の余裕綽々でやっていたことすら、全く上手く行かないという現実を突きつけられて、どうにもこうにもならない現実から思わず目をそらしたくなる。こんなはずじゃなかったと取り返そうと必死になるけれども、仮にそれがなんとかなったとしてもその労力と言ったら半端がないことに嫌気が差す。どうしてもそれを受け止められなくて真正面からそうであるあなたを認められないね。だってかつてはそんな先輩をあれほど蔑んでいたんだから。
優しさ
そうやってなんでも一人でやってきたと自負があるあなたは、今更他人に助けを求めることができないままでいる。そんなことぐらいお茶の子さいさいだと未だ思っているし、正直な実感として記憶に残っているからね。ところがそれはすでに「過去」であって、「今のあなた」ではない。そうやって過去の栄光を振りかざすことぐらいしかできないあなたに気づいたとき、ハッと思い返す。そういえばあなたが若かりし頃にバカにしていた先輩とあなたはまさに同じになっているとね。あなたのスキルはたしかにこれまでたくさん獲得した。そして今、それを喪失し始めている。得るものと失うものはもともとのゼロへと必ず向かっていくことに気づいたとき、またあなたの世界は大きく変わり始めている。一人で何でもできると思っていたときには他人は全て敵とかライバルだっただろう。けれども失い始めているこれからは、多くの人に助けられる世界へと変わっていくだろう。あなたがこれまでしてきた過ちを大きく包み込んでくれる優しい世界にね。