誰かが作ったルール

色々

立派な社会人に俺はなる

小さい頃から叩き込まれる価値観は、人としてというよりも社会人としてどうあるべきか、その一点につきる。いわゆる社会のルールに従う力だね。約束を守る。多少の理不尽には耐えうる精神力。少々無理をしてもびくともしない体力。指示命令に対して結果を出せる服従力。いろんな力を身に着けたものが立派な社会人として認定される。その認定レースを競い合うことで協調性や結束力、団体行動を養う。そうしないとダメだって言われてきたような気がしているし、いつからか自分もそれがいいと信じている。

立派な肩書

そうすると、自分の名前とは別に地位を表す肩書が与えられる。誰からそれが与えられるのかはわからない。上司からかもしれないし組織からかもしれないし、自称かもしれない。その肩書があるとあらゆる免罪符となってますます有利に生きられる。それを信じて日々努力して、ライバルと切磋琢磨して勝ち抜いた一握りの者たちが、また社会のルールを決められる。もちろん、勝者に有利なルールに書き換えるのは今までの苦労のご褒美として認められるわけだね。世間から認められることは恥ずかしくないこと。そうして小さな世間の顔色をいつも伺っている。

社会とは幻想でできている

よく考えてみれば肩書もでっち上げた称号であり、自分とはなんの関係もない。どうしてそんなルールになっているの?と問えば、誰からも「世の中そういうもの」としか答えは返ってこない。もっといえば単にそういうルールで枠組みを勝手に作っているだけ。それを楽しんでいるのならスポーツと同じだけれども、みんながそれが得意なわけではないから、それ以外のルールを自分で作ればいいだけなのに目をつぶって飛び込むだけになってしまう。もともとそこには何もなかったはずなのに。

目覚めのとき

たまたま座った窓からは、大きな柱のせいで外の様子がよく見えない。見えないながらもその隙間から目を凝らしてじっと見つめていた。ここからはよく見えないと諦めていたら、あら、気がつけば隣にも窓があった。なんだ、よく見える窓もずっとそこにあったんだと席を変わってみた。すると違った景色がよく見えた。なんだ。長い間、ずいぶんとひどい夢を見ていた気がする。そこから見える朝の光はまだ何色にも染まっていない。誰かが決めたと思い込んでいるルールも実は自分が決めていただけの勘違いだと気づく。新しく生まれた目の前の世界にどんなルールを作るかはすべてその腕にかかっているような希望が見えた。感動して立ち上がってよく見るとたくさんの窓がそこにはあった。もともと好きな場所から眺めればいいだけだったんだねぇ。