観測者

日々

あなた

あなたがいるからいろんなことを観測することができる。あなたがいうこの世とか世間とか社会っていうのは、あくまでもあなたが観察したすべてであって、それ以上でもそれ以下でもない。したがってあなたがいなくなったらすべてが消滅してしまう。さらに言うとあなたはあなた自身のことを観測することができない。例えばあなた自身の終わり、すなわち死だね。ならば生まれてきたことはどうだろう。あなたがそこにいるわけだから間違いないだろうと思って、どれだけ振り返ってみてもやっぱり思い出せないはずだ。そう生も死も他人のものはあなたは観測ができて知っているけれども、こと自らのことに関してはまったくもって無知のままだ。こればかりはどれほど研究を重ねたとしても、真理に迫ったとしても、あなたが観測するなにかに関してはどうしても超えられない壁が立ちはだかっているままだね。

観測

あなたはいつの間にかあなたがいて、それが明確になった頃からいろんなことを観測してきた。そしていろんな体験を通じてあなたはこの世のからくりをなんとなく理解していた。だから今は多少のズレがあったとしても近未来の予想なんかもできるようになった。だから前もって段取りを組んだり、計画を立てたり、まだそうなっていないことに対しての考えが及ぶようになった。これはある意味予知能力といってもいいだろう。そのことによってより充実した世の中を生きることができる。しかし、それが度を超えてしまうと今度は得も知れない不安と恐怖に支配されてしまう。もう何か良からぬことが起こるんじゃないかと何もかもが心配で安心して委ねるということができなくなる。すると信頼という感覚が薄れてしまい、観測する主体のあなたは不信や恐れというメガネをかけてしまうものだから、あらゆるものがそうしか見えなくなる。

不知

観測者としてのあなたは自身の生死に関しては全く知らないままだ。それはいつかわかるとか、そういうレベルの話ではなくずっとわからない。そしてあなた自身の死も結局はわからない。あなたは観測者であって、あなたがいないとこの世は存在しない。逆に言えばあなたがこの世を生み出しているとも言える。そして他人と共有している世間感や共感も実際の所、あなたが観測者であるからあなた以外のことはわかるけれども、あなた自身のことは永遠にわからない。テレビがテレビの映像を観測できないようにね。そこに何かがあるんだろうと想像することぐらいしかできないわけだ。でもあなたは今観測できている。いろんなことがあなたを通じて感じ取れている。それがあなたにとっての世の中であり、かつあなたが生み出したそれであり、そしてあなたしか見えない世界でもある。ならその世界をもっと愛おしくかわいがってあげるといいね。