次はニュースの時間です
世の中はニュースだらけ
毎日毎日ニュースだらけ。今日のニュースはなんだろうと思って覗いている。膨大な量に圧倒される。あれこれとすごい量。とてもじゃないけれど全部を追いかけられないぐらい。今日のニュースはCMの後でとニュースキャスターが笑顔で告げる。でもその内容はどうにも笑えないものばっかり。聞いていてもいたたまれなくなる。この世の中はいたたまれないニュースで溢れかえっている。どうしてもその感情から逃れられないのだけど、どうしてこうも悲惨なのか。ふとため息をつく。
ニュースに右往左往
そんな世間に毒づきたくなるけれど、だんだんどうってことない顔で受け流すようになる。ああ、またこれか。これだから人間ってやつは。なんて思っているうちに、その感情の処理が間に合わなくなって溢れそうになると、受け流せるようになってすべてを知ったつもりになっていく。もう、たいていのニュースには驚きもしない。驚きもしないように感情を殺して生きるようになる。それでも、ニュースを見ずにはいられなくなる。
見たいものだけ見る
膨大なニュースの中から、自分が見たいものだけを見ている。今はSNSもあるから、それも自分が見たいものだけをフォローするけれど、なぜか見たくないものも同時に流れてくる。目の前に溢れてしまう。どんどんブロックしてもなぜかどんどん目の前に現れてくる。いつのまにか自分だけのニュースというカテゴリーが出来上がる。ふとそのタイムラインを眺めて気づく。自分が見ている世間はこういう世界だったのか。今はグローバル社会だからと思っていても、実は見たいものだけしか見ていない。外国語で流れるニュースは無意識に飛ばす。そうやって見たい世界を自分で生み出している。見たいものしか見ていない。見えるものしか見ていない。そして何かを知ったつもりになっている。世の中のニュースには注目している自分がそこにいる。ついには社会評論家になって、結構世の中のニュースには敏感な知識人のマネをし始める。だってみんなもそうしているじゃない。
誰のためのニュースなのか
評論家がニュースを解説する。それを見て自分の意見だと思い込む。そうだ、何が悪いか、悪者は誰か。ニュースにはいつも悪人探しが含まれている。こうなった原因はここか、あそこか。皆で喧々轟々と語り始める。でも気に入らない意見には蓋をする。そうして結局は俺の見立てが正しいと言い始める。もともとのニュースなんかそっちのけに。そもそも論が飛び交う。でもそれは全部誰かが言ったことばかり。自分の意見はどこにいってしまったのか。もはや当人もわからないまま。まるでニュースは自分を見失うことを勧めてくるみたい。だってなんか深刻な顔して近づいてくるから、どうしても焦ってしまうよね。
ニュースの裏側
ニュースの裏側には一体何が潜んでいるのか。どうしてそんな辛いことを伝えるのか。どうしてそんな顔して語りかけてくるのか。同じニュースを見て違う反応が起こるのはどうしてだろうか。注目すべきは伝えている内容や演出よりもその裏側に真実は隠れているのかもね。さて、次は今日のニュースはこちらです。注目して聞いてくださいね。