泡にまみれた社会
わがまま
社会の常識的にはわがままは良くないことと教わっている。もちろん傍若無人で他人に迷惑をかけたり、不利益になる行動をわざわざすることを敢えてすることはないね。ところがあなたの中であなたの気持ちに対してわがままであってもいいはずだね。それを自由とも呼ぶみたいだけれども、そんな世間に気を遣わなくても大いにわがままであっていい。一日中何もしないで、休みであればゴロゴロと寝て暮らすのもありだし、たとえ仕事や用事があったところで、きちんと連絡をしてお休みにしてもいい。いつも聖人君子で働かざるもの食うべからずだと教えられてきたから、何もしないことが恐怖になってしまっている。でも本来生きるということは、できるだけエネルギーを無駄遣いせずに、最小限の行動で生き延びるのが戦略としては正しい。
無駄
今は最小限のエネルギーで生きることを妨げる社会だね。不要なものを無駄遣いさせることで誰かが儲かる仕組みになっているからだ。毎日お風呂やシャワーを浴びないと不潔だと思っている。だから毎日ボディソープやシャンプーなどの洗剤を使って体をゴシゴシ洗っている。それが当たり前になったのは、洗剤屋が儲けたいがためにでっち上げたコマーシャルでそうなっている。いまやそれをやらないとなると不衛生で病気になると思っている人もいるだろう。鬢付け油で髪の毛をセットしていた時代にとっては、毎日洗ってしまっては毎回セットし直さなければならない。だからその習慣上毎日シャンプーするなんて発想すらない。動物としての人の体の汚れなんて、さっと水を浴びれば十分で、わざわざ防御機能を持つ皮脂を洗い流すなんて自爆行為なんだよ。最近では常在菌まで抗菌どころか除菌までしてわざわざ免疫というバリアを破壊している。
豊かさ
清潔は良いことだし、匂いがするのは最低だし、そのために人工的に生成されたフローラルの香りを柔軟剤に加えている。もともと香水は体臭をごまかすために発明されたものであるのに対して、今では洗剤の匂いが清潔の証となっている。そんな洗剤もどんどん新製品が出ているようだけれども、汚れを落とす機能なんて何も変わっていない。さらにそれが多少向上したところで洗剤メーカーが儲かるだけでほとんどの人には意味がない。しかしそんなことをマスメディアは報道できないね。だってまさに洗剤屋がお得意様のスポンサーだし、もはや一蓮托生の関係だからね。それが飽和したところで、今度は新たなビジネスモデルを常に探している。今度はどうやら流行り病とワクチンや薬だね。どんどん新しい病名を生み出して、生き残るにはこの薬だと言いたいわけだ。今も儲け話のために嘘を喧伝していて、それができることが幸せだと騙され続けているね。逆に言えばだからこそ簡単に不幸になるわけだよ。