あなたが舵を切れ
願う
例えばちょっとソリの合わない人がいるとする。そうするとやっぱりそのうまくコミュニケーションが取れないその人のことばかりで頭がいっぱいになる。そうなるとどんどんその人の弱点や良くないところを見つけてしまう。だからますます憂鬱になってしまう。そんな浮かない顔をして世の中を見る癖がつくと、大好きな人にもそれなりの人にもそのフィルターがかかってしまって、見つけなくてもいい弱点や良くないところを見つけてしまう。ああ、なんだみんなそんなものかと一人勝手に絶望してしまう。それを続けても何も良いことがないと思ったならば、その考え方の癖を逆にしてみるといいね。どんなに不完全な人であってもできれば幸せになってほしいと思って見守るといい。見守るだけでなくもしあなたができることがあれば、どんどんやってあげるといい。そうすると世界がそれこそ一変するはずだよ。
包容力
なんでそんな嫌なヤツの幸せを願うのかというと、それには理由がある。あなたと交わって関わった人ぐらい大切に大事にしてあげられないのなら、あなた自身の幸せをいくら願ったところで叶うわけがないからだね。常に誰かの揚げ足をとって、できれば地獄に落ちればいいなんて思っているあなたに、真の幸せがくるわけがないのはわかるだろう。いつも誰かと比較して、損とか得とか考えている目線で幸せになれたところで、すぐにそれをぶち壊す他人が現れるからだ。そんな邪な生き方で幸せなんて夢のまた夢だと、あなた自身が嫌なヤツに向かって言っているのではないかな。まさに自己矛盾だね。自分だけが幸せになれればそれでいいなんて思うから、他人の揚げ足が見つかるのであり、揚げ足をいくらとったところであなたは一ミリを幸せになんてなれないことは、もう嫌というほどわかっているよね。
幸福の道
だからどんなに合わないと思ったとしても、その地点から離れる術をもつことが、結局の所あなたが幸せになる唯一の方法だ。逆にこれ以外の道は必ずあなたに跳ね返るようにできている。だから苦手だとか、嫌いだとか、蔑んで見ている暇があれば、真剣にその人がそうでないようになるにはどうすればいいかを模索したほうがいい。その人があなたの目の前にそうやって出現したのは、その人のせいではなくあなたに原因があるのは間違いない。逆にそこから移動できれば、あなたにとっていい人ばかりが目の前に現れるようになる。ようするに視点が歪んでいるせいで、それは起こっていることを看破できることが幸福の道であり、それ以外は全部ウソだね。あとはあなたがそれを実践してほんの少しでも今の視座の角度を変えられるかどうか、それだけにかかっている。逆にそれはいつでも簡単にできることでもあるし、実はそこが一番あなたが苦手なところでもあるね。