楽しい失敗

日々

挑戦

失敗なんて実はない。そういうとあなたは反論するだろうけれども、これは真実だ。失敗とはあなたが周りの顔色を伺っているに過ぎず、あなただけに限って見ればそれは挑戦したという証でしかない。当然うまくいくと思って予想していた結果がずれていただけであって、やってみたということに変わりはないし、それ自体が良いも悪いもない。しかしながらあなたは世間一般で言うところの結果と比べてしまって、それでそれは失敗だったと無理やり飲み込んでいるわけだ。だから今度こそうまくいきますようになんて願ったりするけれども、そんなことはどうでもよくてあなたが今生の世界でどれだけチャレンジしたかの方がはるかに大事なことなんだよ。失敗してあざ笑うひとが身近にいるかもしれない。けれどもそれは言うまでもなくとっても無力であなたの人生にはなんにも影響を与えるパワーは持っていない。それにも関わらず影響されているとすれば、その力はあなた自身が与えていることに気づくだろう。

非難

当然挑戦すると何かしらの結果が出る。その事自体が生きていることそのものであり、仮にあなたの上司がなんと言おうとそのために彼が存在しているわけだ。だから参考になるところだけ次に活かせばいいだけで、それ以外の余計なことはガン無視すればいい。呪いの言葉がたくさん生まれるのは、挑戦者だけに与えられた褒美のようなものですべては打ち捨ててしまえばいい。いわば必ず出るゴミみたいなものであり、燃えカスようなものであるから適切に処分するに限るわけだ。そこまで言える理由は一つ。それは挑戦者であるあなただけに与えられた特権であって、経験は誰にも盗むことはできないからね。揶揄する人がいたとしても残念ながら彼らにはその体験はどれほど恋い焦がれたとしても手にすることはできないから、そうなるわけだ。自ら何一つやれない人の行き着く先はクレーマーになることぐらいしかない。

失敗

だからどんどん失敗すればいい。それが良いとか悪いとかなんてあまり気にしないほうがいい。むしろ批判の部分で参考になるところだけ、良いところだけを吸い取って次に備えればいい。批判は挑戦の結果だし、逆に批判している人は挑戦は出来ないままにいる。他人のことにあれこれいう暇があるならば、それぞれが挑戦すればいいだけなんだからね。どうせ失敗するから賢い彼らは、無駄に時間を過ごしているだけなんだよ。失敗を咎めるのはそのジェラシーでしかない。ただ、あなた自身が傷つくような挑戦はできれば避けたほうが良い。だからうまく彼らを活用すればいいだけだね。なるほどそういうところがあるのかと大いに参考にするのは、彼らを尊重するというよりは、ありがたくあなたの人生に彩りを添える役として利用すればいい。もちろんそれは卑下するわけではなく、まさにあなたのために彼らはそばにいてくれるという感謝の気持ちを込めてだ。そう、あなたはいつもたくさんの人に支えられているんだ。