真の気づき
独り占め
現代の資本主義社会において、いかに富をかき集めるかに必死になっている。同じだけのことをしてそれが首尾よくいっている他人を羨んで、嫉妬に苦しんでいる。それは保存可能な財産だからそうなるね。もしそれが自然のものであれば、独り占めしたところでとても扱いきれなくなる。生命の維持に必須な食べ物なんかもそうだね。野生の動物たちを見ていると、せっかくそれこそ命がけで大きな獲物を仕留めたとしても、びっくりするぐらい少ししか食べない。多くは食べずにそのままになってしまうわけだけれども、うまく出来ていてその後にきちんと食べる順番があって、最後には微生物の栄養となる。ある一匹の命がけの行動が多くの生物たちを永らえるようになっている。だから独り占めなんてそもそもできないわけだ。
貯蓄
一方で社会生活の渦中にあるヒトという生き物は、老後の不安の解消のためにどれだけ蓄積できるかを気に病んでいる。もはやあきらめるしかないぐらいのたくさんの資産がないとどうやら生き延びるにも困難な状況だと言われている。そこであなたはまだ起きてもいないことの心配事に支配されてしまうわけだ。それこそ生き残れるかどうかの大きな問題としてね。だから少しでも保存可能な富を求めて、それこそ命がけで健康を害するとわかっていても、必死になって働いているわけだ。それでもそんなわずかな富を得たとしても社会生活を維持するコストである税金や社会保障費でごっそりとられてしまう。だとすればいっそのこと今を楽しめばいいと開き直って、生きるには到底必要のないものでそのストレスを解消しているという、大いに矛盾した暮らしがもはや当たり前になってしまっているね。
マッチポンプ
為政者はそれを巧みに利用して、社会を運営しているように見せかけている。それもこれもみんな知ったとしても、極度のストレスを抱えながら日々の小さな幸せを探して生きているね。もはや自律的に論理的に何かを考えることも随分前にやめてしまっている。競争社会だと思わせて実は本当の相手ではない身近な友人たちとあなたを比べて、損だ得だと日が暮れていく。一時もやすらぎなんて感じることもなく、愚痴や悪口に明け暮れてそのためにわずかな稼ぎもそこに費やして眠る日々だ。そんな暮らしにも希望があるとすれば、明日は誰にもわからないということぐらいだね。その僅かなのぞみもすでに歪んでしまって、何が幸せなのかもいつまでたってもよくわからないままだ。あなたが目指す幸せなんてどこにもない植え付けられた幻想だと気がつくまではね。そんな中でも目覚めることができれば、あなたは真の幸福とやらのしっぽを捕まえることはできるかもしれないよ。