何の心配もない

日々

蜜の味

うまく行かないときこそ、実は一番の醍醐味だったりするね。もちろんその渦中にあるときにそんな悠長なこと言ってられる余裕なんてないし、もうやることなすことが悪手に感じて灰色の世界一色になってしまっている。でも、やがて時が経ち何事もなかったかのように必ず振り返る。そのときにはまるで冒険活劇のようにあなたのストーリーは生き生きと浮かび上がるだろう。そう、逆に言えばすべてが順調でつつがなく過ごしている時間は、あとになってみれば空白になってしまっている。あれ、そういえばあの頃は何をどうしていたのかと振り返ろうとしても、どうにもこうにもデータ不足でぼんやりとして全く頼りない物語でしかない。だからこそ他人の不幸は蜜の味と言ったもので、別に嘲笑するための言葉ではなく、まさにメイクドラマに必ずなるであろうことを不謹慎ながらワクワクしてしまうわけだね。

コンビニエンス

そうやって仮にもう幸せいっぱい夢いっぱいで過ごした人生はそのまま何も語らずに終えることになる。もちろんそうならないようにうまく出来ているので、その中でも必ず失敗なりつらい経験というスパイスがまじるようになっているわけだ。何不自由なく過ごすことをいつも切望してやまないけれども、それは伏線のようなもので人生をドラマティックに演出するためにあなたもそう思わされているだけだ。そのからくりを看破することができるならば、特にそれに抵抗をすることもしないだろうし、それを全面的に受け入れて一喜一憂に花を咲かせればいいことがわかる。何がどう起こったとしてもすべてをただひたすらに受け入れることが、人生の一番の醍醐味だからね。友人なのにその成功に嫉妬してしまったり、それがうまくいかなくてほらみたことかと思ったりすることは行き過ぎないのであれば、すべてがあなたの唯一無二のストーリーとして彩られるはずだ。

思い出

そう、あなたはこのやがてはすべて消えてなくなる思い出の中にいる。過去のトラブルやなんとか切り抜けた冒険活劇を見るために今そこにいるわけだ。それらをなんとかしたという1ページがあなたそのものである。だから欲にまみれてもいいし、邪な考えが出てしまってもいいし、野望を抱いてもいい。いつか見てろと踏ん張るのもいいし、やっぱりだめだったかと失望してもいい。それがありのまま、そのままでいいということと同義だね。聖人君子でありたいともがいているのもいいし、自己肯定感を下げて自身を卑下してもいい。ただどれもこれもあなたがここにいるという大前提が備わっているからこそ自由にできることだね。もっといえばそれだけ生きるのに緊迫した本当の危機ではないということでもあり、余白があるとも言えるね。だからあれこれ悩むことは実は楽しみの一つでもあるとも言える。それができるということは、なんの心配もない証拠なんだよ。