魚はすでに海の中にいる

日々

再生

一度見たシーンは何度見ても気づきはあるけれども、それは見えていないところの新たな発見があるからだね。それを幾度と繰り返すとだんだん飽きてしまう。それは新たな発見が少なくなってしまうからだね。好きなドラマや映画を繰り返してみる楽しみを保てるのも、知っていてもこうなってほしいとかこうあるべきだとか共感するところが再確認できるからであって、それがやがてあなた自身が次のステージに進むと、懐かしさで愛おしく思うことはあっても、初めて見た衝撃を得ることは難しくなる。何が起こるかわからない未来はワクワクすると同時に、一体どうなってしまうのかという不安と同居している。さて、今あなたはまだ見ぬ未来について楽しめているだろうか。それとも不安で押しつぶされそうになっているだろうか。

杞憂

まだやってきてもいないことをあれこれと思えることは、できれば楽しみでありたいと願っている。もちろんうまくいかないかもしれないし、大失敗するかもしれないけれどもそれ以上にこれまでの景色が良いも悪いも一新されて次の世界を体験できる。逆に言えば、今の自分の方向を変えないと違う風景は見られないわけだ。いつも同じ小さな窓からでしか覗けないそれが、窓の場所を変えることで全く違う人やものをそこから見られると確信しているからね。もちろん、今の景色よりもできれば好きな景色出会いたいだろうし、ハッとする衝撃をもう一度体験したいと願っているだろう。そんな期待とは裏腹になるかもしれないと思うのは今の景色にある程度満足している証拠でもある。すなわちシンプルにいえば今も十分に幸せだということにほかならないね。あなたはすでにそれに気がついているのだけれども、自覚としてはやや曖昧な状態だろう。

直感

さて、いつも座っているその位置を思い切って変えるべきか、変えざるべきかなんて思っているかもしれないけれども、実はもう変わるときはあなたの意思とは裏腹に自然にそうなる。だからあれこれと考えても実はそこに影響を及ぼすほどの意味はない。その変化の波に乗ればいいだけだね。もっというとその選択肢も幻想ですでに決まっている中にいるだけだ。だから、不安なんていうものは実はそれほど重大な感情ではない。それでもなんとなくヤバそうだと意味のなく感じ取れるものには必ず選択肢が用意されている。それもそうなるように必然的に現れている。それを色々と思案して悩むけれども、本当の所でいえばもう答えはすでに出ているはずだね。だからそれでいい。むしろそれしかないわけだ。でもそんな戯れも大いなる幸せの中でしか感じられないことだね。だからあなたはすでに大きなそれに包まれている。何をどうしたところですべてはその中のことに過ぎないね。