我慢を美化しない
我慢
おそらくは幼い頃に親から我慢しなさいと訓練されてきたね。それは学校に入っても自分の思うようにはならないと教え込まれて集団にて目立たず乱さず静かに過ごせるように訓練されてきた。そのせいか、この国では我慢強さが美徳となり、したがって奥ゆかしさや謙虚さが素晴らしいものであると信じて疑わないようになった。だから常に行動基準はあなた自身の思いではなく、誰か他の人の顔色を伺うことが中心となっている。それも和を尊ぶことで、謙虚さが譲り合いとなり、結局は多くの人が豊かで穏やかに過ごせるという意味では誇りを持っていい。ただしどんなことにも限度がある。それしかやってはいけないとか、あなたの思いなんていうのは常に犠牲にしなければならないとかで、例の完璧主義が発動すると最終的には病んでしまうことが多い。だから何も傍若無人に振る舞いなさいといっているわけではないけれども、ほどほどぐらいがちょうどいいことは覚えておいて損はない。
取捨選択
思い込んでしまうと、誰に対しても謙虚でいること、少々ひどい言葉を言われても我慢すること、あなたが嫌なことをされたとしても反撃しないことが良いことになってしまう。ここまで極端になるとすべてが害と言っていいね。だからあなたのことを大切にしない人がいるならば、秒で関係を断ち切るべきだね。それは謙虚でも奥ゆかしさでも優しさでもない。単に厄介事を先延ばししているだけだからね。ここはしっかりと見極める力をつけるべきだ。辛いのに、傷ついているのに、それを主張しないのは良いことではなく最悪なことだ。そうやることは単に問題の先延ばしでしかない。だからやがて解消することはないからね。最悪なことからはすぐさまそれなりの対処をして、緊急避難しなければあなたの生命を脅かすことになる。動物的な本能に従ってそこは我慢してはいけないところだ。
解決策
あなたに悪意をむき出しになる相手に対して我慢することは間違いだ。それは我慢すればするほど我慢の連鎖が起きてしまうからだね。そうではなく、我慢するのをやめてそれをどう解決するかを考えるようにすると良い。だから我慢する代わりに我慢しなくていい道を探すことが先決だね。だから我慢はできるだけしないほうがいいし、我慢しなければならない状況が続くのであればとり急ぎその場から立ち去ることが良いことなんだ。我慢したままそれが良いことだという洗脳は速やかに解除しなければならない。残念なことに我慢することが他人に阿ることと一緒くたになって、あなた自身が別の解決策を模索する力をどんどん失っている。我慢しなくていい別の道を探すことができる能力さえ、どんどん錆びついてしまっているから、もしかするとすでに強く意識して我慢はすべて悪いことだと言ってしまうぐらいの荒療治が必要かもしれないね。