今日雨が降った原因

日々

連鎖

今起こっているそれは、とても複雑な因果関係が絡み合って目の前に一時的な姿を表している。だから、その見えている現象だけに注目すると多くの場合は見誤ってしまうわけだ。単純な因果関係であることはほんのまれなことであって、それこそ時系列的に追いかけていくと永遠に遡ることになるからね。だからあまり目の前の現象だけに注目する癖をやめたほうがいい。現象に対して対症療法的に手を打ったとしても、結局はびくともしないことがほとんどなのは、すでに何度も経験しているのはそのせいだからね。そうではなく、その関係性の集大成がいつもあなたの現実世界であるし、それがたとえ受け入れがたいものであるとしても実はその中に思い切って飛び込む方がうまくいくことが多いのは、その関係性の一部であるあなたが本来のあなたに戻るからだ。

泡沫の夢

あなたの悩んでいるそれは、例えば水が湯に変わるときに、沸騰して泡が立つように、その泡ばかりに気を取られるみたいなものだね。泡に対して泡が出ないようにするにはどうしたものかと考えたところで、火を止めるしかないわけだけれども、泡ばかりに着目してどれだけ考えてもその原因にはいつまでたってもたどり着かない。首尾よくそれは火を消すことで止まることをつきとめたとしても、それならばそもそも火はなぜそこにあって、水を加熱していたのかというところをどれほど追及したところでそれにはあまりに多くのケースがあるので、あなたがその理由を勝手に断定する他なくなる。なんとなくそこまでいけば根本を断ち切ったように見えるけれども、実はあなたの考えが及ぶ範囲で区切っただけのことだ。

行間

すべての因果を明らかにすることはできないことを悲観することもナンセンスだね。たとえそれが紐解けたとしてもだからどうなることでもないことはもうすでに知っているはずだからね。だから今目の前に見えているそれは、不幸でも悩みのタネでもなんでもないことに気づくだろう。そうならば、単に現象としてそうなっているわけで、それもほんの一瞬のことでしかなく、刻々と変化していくことも確信できるだろう。今日は雨だったけれども、明日も雨だとは限らないのと同じことだね。または、この間は全く魚が釣れなかったけれども、明日は同じように釣れないのか、それとももしかしてたくさん釣ることができるのか、それは誰にもわからない。それぐらい大きな因果関係で投影されるものだからね。そもそもあなたという自我もその中にあるとすれば、あなたが明日も同じあなたとは限らないわけだし、そもそもあなたという何かがあるのかどうかもおそらくはわからない。それでもあなたはいまここにあると感じられるのなら、もうそのままで十分だね。