整地

日々

優しい世界

ほとんどの人は善意にあふれて、すべてあなたのために良かれと思ってアドバイスをもらったり、手伝ってくれたりしている。もちろんあなたもそれを心地よく感じているし、素直にありがとうと感謝している。すべてがそうであるならば世界はとっても優しさに溢れた世界になるはずだ。ところがその善意が裏返しになってしまったり、絡まってしまうとそれまでの穏やかさを失って、緊張感に満ちたギスギスした雰囲気になってしまう。不思議なものだね。全体を俯瞰するのではなく、個々に見れば驚くほどの悪意に満ちた人なんて見つかることが稀だ。でも何故かその善意の大きな塊があなたにとってはかえって重苦しく感じたり、切迫した緊張感を生み出してうんざりしている。小さな優しさが重なるとそのまま大きな優しさになるとは限らないみたいだね。

最適化

そうやってそれぞれが部分最適を目指すと全体としては必ずしも素晴らしい世界にはならないことは、体験上随分前から知っているはずだ。でもあなたからすれば、全体とかみんなそう思っていると主張するときの「みんな」はほんの2,3人のサンプルでしかないことが多い。メディアがアンケートや意識調査をして報道することもあるだろうけれども、そのサンプリングした数も思っている以上に多くない。もちろん統計学的にその調査対象を無闇矢鱈に大きくすればいいというわけではない。けれども、100人ぐらいに聞いたぐらいであなたがそれに無理やり合わせる必要もない。それでもそれを知ったあなたは大きな影響を受けてしまうんだ。だからあなたは意識している周りという正体はいくらでも外部からコントロールされてしまうことには注意したほうがいいね。まさにそれがあなたの世界そのものとすり替わっているんだからね。

位相

そういう仕組みだから、実はあなたと違う意見を楽しめるように工夫したほうがいい。そのことであなたの世界は書き換えられるわけだからね。あなたから見える皆がやっている善意ではないなにかを探してみたり、あなたから見える一般的な優しさを疑ってみたりするといいね。そう言うとよく誤解してしまうけれども、そのためにわざわざ天の邪鬼になったりひねくれたりしなくてもいい。あなたが固定化している世界をアップデートするような感じが一番わかりやすいだろう。もっといえば善も優しさもそれしかない世界はどうやっても成り立たないとすれば、その反対のものはおそらくあなたから見えないところで支えているはずだ。良かれと思うことは善であり、優しさは幸福の要素であるとあなたが見ているのも、それを支えている裏側を実は知っているからこそ目をつぶっていることになる。もちろんあなたはそうしていることに気がついていないんだけれどもね。