こっち向いて

日々

初体験

どうも人生も後半になってくると、どれもこれもあなたの世界では目新しいことが少なくなって、ワクワクするような刺激的なことが少なくなってしまったように感じてしまうね。いつもの風景、いつか見た景色、かつて体験したそれらで覆い尽くされてしまう。だから、飽き飽きするような平凡な毎日、悲しみに暮れるような辛い出来事だけが浮かび上がってしまって、人生バラ色どころか灰色に近くなってもううんざりしている。でも本当にそれは真実なのだろうか。似たようなことをすでに知っているかもしれないけれども、似ていると思い込んできちんと見ていないことが多いのではないかな。だからよくよくつぶさに観察してみるといい。すると実はあなたが灰色一色に染めたそれは、実はその中でも案外淡いバラ色の瞬間が必ずあるはずだ。それなのにあなたは灰色だと思いこんでふとした瞬間の素晴らしい景色を自らなかったことにしてしまっている。

花開く

春になると木々は美しく咲き誇る。それはどんな年でもそうだ。様々なことがあったとしても決まった時期に花開く。それをなんてことのない日常のルーティンだと感じるのか、それともそのことについて感銘を受けるのか、それを司っているのは間違いなくあなたの見方そのものだね。いつものことと気にもとめないのか、それともそれをつぶさに観察することでその向こう側の大自然の大きさを感じとれるのか。すべてはあなたが決めている。もうそれどころではない毎日に追われて、毎年の素晴らしい瞬間を見逃してしまっているのも、その忙しさにあなたがあまりに注目しすぎていることが原因だ。はてさて本当にあなたは忙しくて、咲き誇る花の横を素通りしなければならない状況なのだろうか。胸に手を当てて振り返ってみる時間すら残されていないのだろうか。

最期のきらめき

そうやってあたふたとして、一瞬たりとも今を生きないまま人生を終えるとき、あなたは何をそこで思うだろう。もっと遊んでも良かったし、せっかくの大自然からのプレゼントを受け取っても良かったと後悔するかもしれない。やった失敗はあきらめがつくかもしれないけれども、やらなかったことはもう取り戻せないことをそこで初めて知ることになる。あなたの世界が毎日の平凡な繰り返しだと感じてしまう時間は、あなたがこの世にいない時間と同じだ。今を生きるというのは、あなたの思い込みから脱出することであり、辛いだの、不幸だの、ついてないだのように、不平不満を漏らす暇と余裕があるのであれば、せっかくの生命を今に燃やしたほうがいい。シンプルにあなたはそれを今すぐにでもできるというのに、わざわざ明後日の方向しか見ないように過ごしているだけのことだからね。そのことを一瞬に咲き誇る花たちが身を持って教えてくれているわけだ。