人生はノリと勢い

日々

バカであれ

小賢しくなると、何をどうすべきかということばっかりに意識が集中して、馬鹿げたことを蔑むようになる。ところが、そんな優秀さを手にしたはずなのに、やることなすことに対する充足が以前にまして得られない罠に陥ってしまう。さらに、優秀さを自覚し計画的、論理的に段取りをやればやるほど、おかしいな、そんなはずではないとますます自己嫌悪に苛まれてしまう。まさに悪循環であることに気がつくかな。それまでは思いつきだとか、いきあたりばったりで何の計画も立てないまま行動していたところから、それらの反省を生かして物事には段取りが大切だと気づいた。それで、その段取りの最適化を図れば図るほど、どうもその思い描いていたようには順調にすすまないという壁にぶち当たるわけだ。その弊害は何かというと、思いつきで行動していたときは、もちろんたまたまラッキーだっただけであったけれども意外とすんなり物事を片付けられていた。けれどもそれを計画的に進行するようになると最初のところで躓いてしまい、何も片付かないまま時間だけが過ぎていくようになる。

浅知恵

どれだけ因果関係を捉えようと思考を巡らせたところで、そもそもそれに時間がかかっていては何もできないね。だからそれを瞬時に見極めて素早く段取りを組めるように努力する。やがて首尾よくその能力を得たとしても、現実のパラメータは複雑怪奇ですべてを計算式の変数として取り入れるのは不可能だ。仕方がないのでこれまでの経験から、あなたが重要ではないと判断したそれらの変数を捨象するわけだ。そうするとおおよそうまくいくはずであるし、大まかなあらすじは描けている。ところが不運なことに思わぬ出来事が起こってしまう。すべてを予見することははじめからできないということはわかっているつもりではあるけれども、やっぱりその段取りという思考の枠組の限界から、それと全く関係ないことを計算式に入れることはどうしてもできない。そんなことはすべて体験済みで重々承知なんだけれども、なぜかそうしか考えられないあなたが相変わらずそこにいるわけだ。

計算

はて、そうなるとあなたは一体何の能力を得たのだろうね。いつも焦ったり切迫している原因は、その予測不能な世界に生きているはずなのに、それがあたかも計算可能だと勘違いしていることによるわけだ。それならその能力を一旦手放す方が得策ではないだろうか。もちろん、段取り上手を目指すのも悪くはないし、それを楽しめるのなら最高だと思う。結局はあなたが稀に思ったとおりにうまくいったという経験は、あなたの事前の段取りのせいではなくて、おそらく予想が当たったぐらいのことでしかない。であれば、計算するのが好きなのはそれでいいとして、それ以外に今まで通り思いつきで、ノリのような後先を考えないでやる道も大事に残しておいたほうがいいね。とにかく今のあなたは計算しすぎて雁字搦めで動けなくなって固まっている状態だ。その縛り付けている原因は、あなたが間違って計算した未来予想図だ。実際それは宝くじぐらいに当たるわけがないんだからね。