騒ぐんじゃない
憧れと理想
あんな風に生きていくことができれば、なんて素晴らしいんだろうなんて、いつも夢見ている。理想の仕事、理想の暮らし、理想の人生、常にあなたを縛り付けるそれらは、何かを得ないとおおよそ実現できないと思い込んで、現状を打開するために必死に流れにあらがって生きている。ところが、やがて大きな流れに抵抗し続けることがとてもつらくなって、ふと全身の力が抜けてしまったときになぜか得も知れない平穏さというかおだやかさが突然現れるね。それ自体に困惑しつつも、それが実は真実だとなんとなく理解するわけだ。じたばたしているのは、かえってあなたが思う理想からどんどん遠ざかって行くだけで、実は力を抜いて流れにそってただ流されていくだけで突然現れる理想郷の片鱗に触れて、あなたはなにがなんだかよくわからない体験をしたことがあるはずだ。
不断の努力
何かを得るための対価が必ず必要だと、気がついたら信じて疑わなくなった。欲しい物を手にするためにはそれなりのお金が必要で、そのお金を稼ぐためになりふり構わずがむしゃらに働き続けてきた。もちろん、その中でも充足と不満を感じながらもなんとかそれが達成したとして、それで目的がようやく実現するとホッとしたのもつかの間でしかなく、一難去ってまた一難と次々とあなたに試練がふりかかってくる。そんなふうだから、もはや、人生というものは釈迦が看破したように苦でしかないと達観したような気になっているね。ところが、それ自体が伝える本質とはそんな表面的なことではなく、じたばた抵抗すること自体をやめることが本願成就だということだ。何かを得るために何かをするのは事態を悪化させるだけで、本来はそのまま、ありのままでなにもしないことが一番の近道ということなんだ。もちろんなにもしないというのは、暮らしの営みの中でなにもしないという意味ではなく、今あなたが自然にやれることをやるだけで他に余計なことをしないということを指している。
流される
だから何もしないとか、ありのままとかという言葉の表面だけを捉えて、それをひたすら実行したとしてもうまくいくわけではない。朝食の準備をしたり、部屋を片付けたり、汚れ物を洗ったりするのは何もしないという中には到底含まれないのは自明のことなんだけれども、本質が見えていないあなたはそれすら放棄することなんだとまた勘違いしてしまう。その理由は、なにもしないという不自然な状況を自ら作ってしまうわけで、じたばた無駄なことをするのと同じことをベクトルを変えているだけに過ぎないからだ。普段の暮らしを快適にするために自然にやりたいと思うことをやれるだけやることで、穏やかな時間がそこに突然出現する。実はあなたはすで余計なことをしなければ十分に穏やかで幸せの真っ只中にいつもいる。何かを頑張らないと何も得られないと思い込んでしまっているけれども、そうではなく、すでにそうなっているわけでそれが真実なんだからね。