その問題は問題ではない

日々

学び

これまでは問題集をできるだけ早く正確に解き、正解数が多いほど優秀だとちやほやされて、自らもそのために全精力を傾けて努力してきただろう。でもそれはなにかの能力を引き出したり、真の意味での問題解決能力を磨くことには遠く及ばず、どちらかというとそれに特化すればするほど自ら問いを立てて検証する機会をあなたから奪い続けてきた。予め巻末には模範解答が添えられており、それを当てるかどうかということを問題解決能力だと勘違いするように仕向けられている。すでに答えがある問いは正確には問題とは呼ばないことぐらいすぐに気がつくだろう。さらに最悪なことに出題者の意図とは違うアプローチで同じ解答にたどり着いたことを称賛するどころか、方法論としてそれは誤りだとする論調にまでなっている。その中であなたは気がつけば自らの能力開発とは真逆の努力をし続けてきたことになる。

問い

社会に出ると学生時代でうまくいったそれらがすべてダメになるのはそのせいだね。もっと簡単に言えばすでに色々と試行錯誤してあらゆる多様なアプローチがあることをずっと隠されてきたから、ある意味そうなるように仕向けられている。問いがあるわけでもないし、模範解答が巻末に添えられているわけでもない現実とそこで初めて出会うようにわざとされている。決められたことを決められた通りにすることが最善だという洗脳によって、とたんにあなたはイレギュラーな戦場に送り込まれた新米の兵隊のような体験をする。そもそもそういう能力にあふれていた幼少期の柔軟さをすでに奪われてしまっているあなたには文字通りこの世はハードモードと化して、あなたの心まで蝕むまでになってしまうこともあるね。なら、なぜわざわざそうなってしまっているのだろうか。

社会の意図

とにかく次世代を担う若者は、総じて旧来の大人と呼ばれる旧式の人類からするとマスターピースであることには間違いない。それをそのままにしておくとどんどん旧式の大人と新陳代謝のように入れ替わってしまう。自然界ではそれが当たり前であるし、そうやって生物全般は大自然になんとか適応して生きながらえてきたわけだ。不思議なことに誰かがそれを決めたわけではなく、宇宙のルールとしてそれが脈々と受け継がれている。流行り病の小さなウィルスの存在戦略もそれと等しいね。もはや生物と物質の間のものでさえ、いかに存続させるかというルールがそこに見て取れる。そこから大きく逸脱しているのは、実は人類の社会だけでしかない。年功序列とか儒教の先輩を敬うとか、ある意味不自然なルールをそこに生み出している。若者もいずれ年をとって自然に入れ替わる。個を見すぎると全体が見えなくなる。そして誰かの都合の良いルールが未だに蔓延し続けている。さて、それを知ったあなたはどう生きるべきだろう。