ルーツ

日々

対立

意見や考えが全く違うとき、あなたは良かれと思って必死に説明したりするだろう。でもそもそもそれは無駄なことでしかない。なぜならよくよく話をしているとわかってくることは、そういった場合は全く違う視座にいるからだ。わかりやすい例えでいうと、お互い人類という生物として地球で暮らしているわけだけれども、そこでは朝がきて夜が訪れ1日24時間で移り変わっていることを受けいれている。それはおそらく疑いようのない真実であって、誰がどう言おうともそれは譲れない確信となる。昼と夜が実は同じ地球で同時に存在しているなんて言われたところで、そんな馬鹿なと一笑されてしまうだろう。ところがあなたが少し宇宙について興味があってその知識があれば、どう見てもそれは地球の自転によって起こる見かけの現象であって、仮に月から地球を眺めると昼と夜は確実に同居していることを知っている。さて、その二人が昼夜に関しての議論をしたところで、いつまでたっても噛み合わないのは必然だね。

知識

そこであなたは、その知見を相手に伝えようと必死になる。あなたにとっての世界は宇宙の仕組みを含んでいるからだね。ところが、相手はその宇宙とやらには全く興味がない別の世界を生きている。あなたの方がよりよく知っていると思うから、それを共有したいわけだ。ところがそれはまったくもってあなたの方が余計なお世話となる。宇宙なんて知らなくても楽しく毎日を過ごしているのに、あなたは宇宙を語りそれをとにかく理解しろなんてナンセンスだからだ。そこでマウントをとったところで誰も幸せにならない。だから、意見が異なることを素直に認めて、それごと受け入れるのが一番の得策だ。あなたはあなたの世界で楽しめばいいし、それを求めてもいない人に無理やり理解させる必然はどこにもない。だから論破したり正論をかざしたりしたところで、心の声としてはちょっと虚しさと寂しさを感じているはずだ。

自然

分からず屋がいたり、理解に苦しむ人がいたりするのは、そういうあなたを際立てるために存在しているとも言える。だから調子に乗ったり、威張ってみたり、相手を小馬鹿にしたりすると結局はあなたの存在そのものも危うくなってしまうわけだ。違う人と楽しく暮らす方が結局はあなたが幸せになれるという仕組みだね。もっというとそんな枝葉末節で良し悪しを勇み足で判断し続ける方が愚かだとも言える。そんな表面的なところばかりあなたは見つけるようになってしまっているけれども、そこにある普遍の枠組みを見出すことの方が最も自然であり重要なんだ。その大いなる枠組を日本の言葉で言うところの愛と呼ぶわけだ。それもかわいいとかかっこいいから愛しているなんていう表層レベルではなく、もっと深遠なおそらくはぱっと見ただけではつかめないような、それこそあなたが好きな宇宙全体を流れているそれだね。