ミスは勲章

日々

ミス

おそらく学校ではミスは悪いことだと教えられてきたね。テストでも何でもミスがないことを評価されて、ちょっとした問題文を読み解く力が十分でなくて、たまたま勘違いしてしまったり、その後の計算も途中で誤ってしまうと減点されてしまう仕組みが前提だったからだ。でも現実世界は全く逆だ。なんでもチャンレジしてやってみないことには、ミスは発生しないし、そのミスはチャレンジした証でもある。だから、ミスは生きていく上で避けられないものであり、それは決してネガティブなものではなくある意味挑戦したものだけに与えられる称号だとも言える。しかしながら、ミスは悪だと叩き込まれてしまってその呪縛から解き放たれないと、おそらくはせっかくのチャンスをみすみす見逃すことばかりとなる。打席というチャンスを与えられても、いわば空振りが怖くてバットを一度も振らないままでベンチに帰るばかりの人生となる。

システム

そうやってすべてのミスの原因はあなた個人に降りかかるようになってしまっている。けれども、それは見当違いも甚だしいことを見破れるかどうかがあなたの世界の決定打となる。どう考えてもヒューマンエラーのその先には、システムエラーが必ず存在する。すなわちミスを起こした個人にその原因をいくら求めたとしても、それはたまたま挑戦しただけのことであって、そもそもでいうとそうなってしまう仕組みの方に問題がある。だから、あなたが仮に大きなミスをしてしまったとしても、それを必要以上に責任という無意味な洗脳で支配される必要はないんだよ。仮にそれを上手に回避している人から責め立てられたとしても、誰がやってもそうならないように仕組みそのものをブラッシュアップすることの方が再発防止に有効であることに間違いない。それぞれが戦々恐々としていつかはやらかしてしまうなんて思っているとすれば、それは間違いなく必ず再発するのは必至だ。

無責任

現代はそれを自己責任とかと呼んで、当然の報いのようにマウントを取る人が多くなってしまっている。そしてその重圧で身動き一つできないまま洞穴からでることもできないように仕向けられている。人生は冒険だとすれば、もちろんリスクテイクしてチャレンジすることが喜びとなるはずだ。でもそうやってミスを重ねることでシステム全体を改善されてしまうと、どうやら都合の悪い連中がいるらしい。だから先のミスを悪だという洗脳をひたすら叩き込み続けていて、それが正義なんだと自己暗示を続けることでようやく自我を保っている人ばかりな社会を維持し続けているわけだ。従順で思考停止を続けている自らが正しいと信じてやまない人たちは、そんなことも知らずにミスをあざ笑っている。SNSの普及によってそれが顕著に増幅されてしまっているね。でもそれに気づいたあなたは、SNSなんてそもそもその程度のものだと看破できるはずだ。だからそんなものにかまっている暇があれば、どんどんミスという素晴らしい検証を通じてあなたの人生を磨いていけばいいだけだよ。彼らはまだ一度もバット振ったことがない連中なんだから。