未完成人
いつも何かが足りない
どんなにいろんなことを経験しても、どんなにいろんなものを手に入れても、どんなに名声を勝ち得たとしても、いつも未完成。どんなに成功しても、どんなに失敗しても、どんなに後悔しても、どんなに涙を流しても、いつまでたっても未完成。雲の向こう側には何かあると思って飛び立っても、雲の向こう側には大きな空が広がっている。空と呼ぶそのものは広大な空間があるだけ。でも一旦地上に降り立つと、雨が降り、木々が濡れ、風が吹き、草花は揺れている。そこに止まっている蝶はいつものように何事もなくそこにいる。ゴールはどこから見ても存在しないよね。でも羨ましいことばかりが目の前に広がっている。あんな風になりたいな。いつもそう思って足りないところを探してる。足りない、足りない。これじゃない。あれでもない。満たされない思いを胸に今日も生きている。本当の私は一体何者なんだろうか。
どこを見てるのか
ここでもないどこかへいつも向かおうと気が急いでいる。落ち着けないし落ち着いたらそこでゲーム終了だ。夢は無限に広がっていて、諦めるのはいつも人の方だなんていう言葉に惑わされて、じゃぁどうすればいいのかなんて考え始めると、また足りないことが山ほど見つかる。なんて自分は足りないことだらけなんだと思ってしまうと次々と足りないことが襲いかかってくる。ジリジリと迫ってくる足りないことからここで逃げるか、立ち向かうのか。そんな選択を迫られていつもへとへとになっているよね。どこに向かって走っているのか。そりゃこの足りないことをクリアにするために全力で駆け抜けているつもりだよ。ちょっとずつでもどこかのゴールに近づくためにね。
足りないのはなんだろう
そもそも足りない、まだまだ未完成だと思うのはどうしてって?ほら、そこにゴールが見えるからだよね。ゴールはそこにある。でもどうしても、どうやってもゴールテープを切れないのよ。近づいたと思ったらまた遠ざかる。その繰り返し。追いかけたら逃げていくゴール。なぜだろう、いつまでたっても辿り着けないのよ。そんなにレベルが高過ぎることを望んでいるつもりはないよ。だって手に届かないことは、そもそも見ることもできないからね。そんなことぐらいわかっているつもりだよ。ほんのそこまででいいんだよ。後少し手を伸ばせば掴めそうなそこに行きたいだけなんだ。そのために頑張る。それが生きる意味ってやつだよね。
そもそも生きる意味なくない?
意味がないから意味を探すんだけれど、探さないと意味がないということはいったいどうなってるんだよ。どこかに意味が落ちてればこんなに楽なことはないね。自分でゼロから作らないと意味すらどこにも見当たらない。どうして意味を作る必要があるのかね。そりゃその方が楽しいと思うからだよ。それが生きがいってやつだと思うから。生きがいって意味がないと存在しないものなの?意味なくても楽しければそれでいいんだけどね。なら、意味なく楽しめばいいんだけど。そうだけど意味を探すのは自分が何者かを手に入れたいからさ。え?すでに手にしているって?冗談じゃない。まだまだ私は未完成人。
ほら、もうすでに私は未完成人になっているって?そう、いつも探し回っている未完成人。求めているけれど何者にもなれないのはすでに未完成人だから、そのまま安心して未完成人を楽しめばいいって?またまたご冗談を。