思考停止の罠

日々

明暗

あなたは知らず識らずのうちにあなたがどれだけへりくだっているつもりでも、丁寧に慎重に最大限の思いやりを持って接しているつもりであっても、その奥底に流れ続けているそれは、それとは真逆のものでしかない。尊敬の念を持とうとすればするほど、人には優しく接しようとすればするほど、実は無意識下ではその真逆の強力な自我が根を張っている。よくよく考えてみればシンプルな構造で、それがあるからこそ、そこが確固たる基準として明確になるからこそ、より表面的な謙譲が明確になるわけだ。できるだけ尊敬の念と愛情を保ち、それがあなたを良い人に演出するだろうという部分ばかりに着目するあまりに、あなたの根底には最悪な姿がはっきりと浮かび上がっているはずだからね。

根底

その根っこがあるから、それほどまでにあなたは気を遣っているわけで、同時に相手に期待しているのはそれを汲み取ってもらって、あなたが思うように返答するはずだと確信している。ところが実際にはそれを全く裏切る対応をされてしまって、心から失望してしまうわけだ。その瞬間にそのリスペクトは恨みつらみに瞬時に裏返ってしまうね。なんだ、これほどまで気を遣って人が下手に出てやっているのにも関わらず、その態度はなんだと怒りさえ覚えている。いやいや、それはあなたがそこで嘘をついているからこそ、あなたが羨望するリスペクトはかえってくるどころか、逆に悪化してしまっている。悪態の一つも付きたくなるとき、その原因は実はあなたが先に生み出している。

練習

だから、実はあなたにとってのその「表層的な良い人に見られたい作戦」は大いに間違っているね。しかもそれがたまにうまく行った経験からそれ以外の接し方がめっぽう苦手だ。その理由はとても簡単で、それしか練習したことがないからそうなってしまっている。臨機応変に機知に富んだ対応など、意識的に練習したことなんて一度もないだろう。だからもうその一手に頼り切りであるし、その一手がうまく行かなかったときにもっと他の手を練習しないといけないという発想すら浮かばない。それでいつの間にかあなたの中での会心の一撃である上手な人の接し方はワンパターンしかなくなってしまっている。さらに最悪なのは、おそらくそれさえも気がつかないままだ。そこに気がつけばあなたはいろんな手を習得すべく、それこそ意識的に練習を重ねるだろう。目覚めるというのはそういうことなんだよ。思考停止なんてあなたに限ってそれはないとバカにしているだろうけれども、実はすでにあなたも思考停止しているわけだからね。