知っているつもり
ここからは見えない
ここから見えるその先はずっと向こうに続いているように見える。少なくとも先が見えない。その先はどこにつながっているのかもここからは見えない。ちょっと背伸びして眺めて見ても、ずっと先まで続いているように見える。はてさてここはどこなんだろうか。今は道があることだけは見えるけれど、夜になったらそれも見えなくなるよね。だからちょっと立ち止まって確認したくなる。さっそく持っている地図を広げる。ここから先はこうなってますよと黄色い色の線が伸びている。たぶん今はこの辺りだなと見当をつけてちょっと安心する。地図は便利だな。それでその先のページを探してみる。あれ。その先はこの地図には載ってないのか。その先のことはどうなる?どうする?まぁ、どっかに続いてるだろう。しばらくは分かれ道もないみたいだし、ただひたすらにその道を行くしかなくなる。
知っている道はどこにあるのか
こういう時に自分の癖にふと気づく。どこへ行くのか、どこまで行くのかを常に確認する癖がある。冒険の旅とか言いながらもいつもそばには地図がある。冒険なんて何もしてない。地図に載っていない道にはそもそも足を踏み入れないように注意してる。その癖をやめてみると同じ景色が全く違うものになるんだな。いつも何かに頼って安心してることに慣れてしまっている。今やなんでもかんでも地図が用意されている。その通りに進めば大丈夫だと信じて疑わない。こんなの冒険でもなんでもない。誰かが作ってくれた地図を頼りにしてるだけだからね。全部想定の範囲内ってわけだ。無条件の信頼を置いていた地図が間違っていて、思った通りにならなくなった途端に、毒づいてどうすればいいのかわからなくなって動けなくなるのは、普段から何かに頼りっきり、任せっきりで一歩も自分の意思で歩いていないからなんだなぁ。
それでもワクワクするのは
やがて通い慣れた道に出る。何度も通っているので、知っているつもりの道にいるけれど、いつものように知ってるつもりの道は一度も同じ道ではない。刻々と状況は変わっているよ。ほら、危ない。なんか落ちてるよ。あれ、この道は急に滑りやすくなってる。知っているつもりでもひと時も気を抜けない。知らないことが重なって起こると事故が起こるからね。すべてを知っている道って一体どこにあるのだろうね。すべては知ったかぶりでしかないんだね。