すべてを委ねる

日々

プラスマイナス

勇気ある一歩を踏み出して、新たな環境に身を投じると、大抵はあなたのいつもが破壊されて困難ばかりに思えるだろう。でもその時、そうであるならばそこに染まってやろうと覚悟を決めると、実はずっと追い求めていた安寧が広がっていたりするね。人生は冒険だとばかりに、いつもあなたはドキドキハラハラする展開を求めてばかりだった。実のところそれはいつも新鮮な驚きと新たな気づきがある一方で、それと同じだけの苦難を感じていたはずだ。でもその大英断の向こう側にずっと求めているのは、あなた自身のホッとする瞬間であり何も心配のない強固な幸せであったはずだ。そこであなたははたと気づく。何をやっても、何もやらなくても結果プラスマイナス同じなんじゃないかとね。それを達観とか諦観とか言ったりするんだろうとなんとなくぼんやり考えていたりする。

大いなる流れ

あなたが決死の思いで何かにチャンレジしても、それを諦めて現状にとどまっていても結果は同じだ。いや、どちらかというとあなたが求めてやまない幸せや安定をいくら望んだとしても、起こるべきことは起こるし、全く苦難がない道などないことを知る。であれば、どちらでも結果的には同じだね。強いて言えばむしろ流れに身を任せて生きるよりも、それに逆らった方がより乗り越えるべき困難が多いと感じるだろう。でもその刺激を楽しむために敢えてそうするのも選択肢の一つだね。それを後悔の念で一杯になるのか、それとも楽しみの一つだと思えるかは、最終的にはあなたが決めている。花が咲けば美しいけれども、必ずいずれは散ってしまう。その喪失感を強く感じてしまうのか、また来年を楽しみに思えるのかはあなた次第だということだ。

止まない雨

思い返せば雨は降る。昼は夜になり、季節はめぐるわけだ。その変化の中でしかあなたは存在し得ない。いい日とか悪い日とかそこに色付けしているけれども、大局的に見れば皆同じかけがえのないあなたの一日であることは間違いない。結局は悪あがきするのも楽しみの一つではあるけれども、それがすべてを解決するソリューションではないことに気づくわけだ。だからあなたと違う生き方を毛嫌いしたりしてもそこに意味はないね。流されていくなかでできることを精一杯やれることも幸せであるし、あなたがそこの流れに少し抵抗して波風立てられることも幸せだ。いずれにせよ、ずっと求めている幸せだとか安寧だとか楽しみなんてものの本質がおぼろげながらわかってくると、それだけで不幸せになること自体が難しくなる。そう、実のところそれがあなたが求めてやまなかった境地なんだよ。もうすでに随分前から達していたわけだ。