全ては幸せの中に
肯定と否定
物事はそのまま流れている。今朝起きてみたら雨がしとしと降っていたり、とてもいい天気だったりする。それでもあなたは休日の天候が今から気になって仕方がない。随分も前から準備をしてその日が来るのを心待ちにしていから余計だね。でも天気予報はその期待を裏切る天候だと報じている。そこで誰に向けた怒りでもないけれども、なんだかあなたが普段の行いで悪いことをしたのだろうかと今からすでに憂鬱になっている。そうやって、まだ見ぬことを気に病んだり、あなたの思い通りになんかこれっぽっちもならない出来事に対して早くも決めつけて苦しんでいる。その中であなたは気づくだろうか。あなたの望みはすべてそうやって叶っているわけだし、例え雨模様でもおそらくその休日はそれなりに安らぎと新たな発見をもたらしてくれるだろう。すべての良いとか悪いとかは結局あなたの勝手な判断でしかない。
不運
ちょうどそうこうしているときに、ちょっと体調が心配になってきた。せっかくの旅行計画がもしかすると台無しになるかもしれない。そこであなたはなんてついてないのかとまた負の感情で一杯になる。それもあなたのせいではないし、自然の流れとしてたまたま現れては消えることをこれまでも経験してきたというのにね。あなたのまだ見ぬ計画もまた、自然の流れでそうしたいと単に思い立ったことだろう。そしてそれがうまく合致するのも奇跡だし、そうでないのも同じく奇跡だ。あなたはこれまで何かを解決した自負があるのかもしれない。けれども冷静に振り返ってみればわかるように、たまたまタイミングがピッタリとあっただけで、あなたもまわりもなにかの意図をもってそうしているわけではなかった。それをあなたは過大評価しているだけのことだね。
努力
では、楽しい休日を過ごそうとすること自体が無意味なのかというと、そうではない。たまたま楽しみにしていた旅行が雨模様の中かもしれないけれども、それは不幸ではない。そうやって試行錯誤したり努力をしたり準備をすること自体は、あなたの自然の流れの中にいるからそうなっている。それと大いなる自然の流れがマッチするかしないかだけのこと。雨が良いとか悪いとか言い出すことは、自然の流れに一人逆らっているようなものだ。晴れていても気持ちが良いし、雨のときも気持ちが良い。そもそもその恵みの中であなたがいるわけだからね。すでにすべてはあなたのために起きている。それに気がつけば何をやっても、何もしなくてもすでに充足の中にいるわけだ。何かをしなければならないともがいているときは、必ずその向こう側の流れを感じ取ることをおすすめするよ。どこでどうなってもすべてはあなたのためにそうなるようになっているからね。