この世のルール
誰がために
あなたはあなただけの人生を生きようとすると過去と将来が気になって仕方がない。こうあるべきだとか、こうなってはいけないとか、そんなことばかりがあなたの人生を支配するようになる。だからいつも陰鬱でまさに苦しかない人生だと勘違いしてしまうわけだ。ところが、そんなことはすべて忘れて、愛する人のためにまさに後先など考えずに生きると永遠の幸せをそこで感じることができる。もちろんそこでこれだけしてあげたんだからと見返りの中に陥ってしまうと、それは先の将来の報酬という考えが支配してしまって、やっぱり不幸になってしまうね。そんな後先などどうでもいいぐらいになっていることが真実の愛だね。見返りの中の行動はやっぱりまだ見ぬ将来への期待がそこにあるわけだから、それは愛とは呼べない全く別物になってしまう。
今ここ
先人が言う今ここにありなさいというのはそういうことだ。今ここで恩を売っておこうとか、徳を積むとかそんなことに囚われているのは今ここにはいない。それはまだ見ぬ未来に生きていることになる。本当に今ここを十分に楽しんでいるのなら、そんな損得勘定など入り込むすきもないね。しかもそれが入らないがために至極の幸せを感じることができる。経験からその理屈が十分にわかっているはずというのに、どうしてもそれが邪魔をするのは、やっぱり今ここを生きるというのはそんな優しいことではないということかもしれない。でも不思議なのはいつの間にかずっと見返りの中でしか幸せがないと思ってしまったのかということだ。それには色んな理由があるけれども、大きな部分を司っているのは幼い頃から叩き込まれた規範意識と価値観かもしれない。
正直者
正直者はバカを見るという世の中だと教えられ、すべてを狡猾に計画的にすすめることで成功者になることができると思っている。そう思うのも無理もなく、この世は気がつけば競争社会であり、資本をたくさんもっているものが成功者であり、それ以外は単に搾取されるいわば奴隷みたいな存在だと教わったからだね。さらに正しき奴隷になるためには、実直で真面目であれと散々教わってきたから仕方がない。そこに従順になればなるほど社会的信頼は勝ち取れるわけだし、しかもそのポジションもしっかりと用意されている。生きるためにはより良い組織に属することが前提条件であり、そこから外れるとまさに外道だと思いこんでいるのはそのせいだ。しかし現実をしっかりと見抜ける力がまだ残っているのならば、それはまやかしであって実はそのルールから離脱した者たちが敷いた罠だと気づくことができる。はてさて、あなたはそのルールの外側が見えているだろうか。