エコはエゴ
環境に優しい
大量消費社会を経験して、このままではいけないと環境問題が大きな関心事になっているね。環境をできるだけ浸潤しないで便利さを追求する活動といってもいいかな。肉体がひしめき合っている地球を守るという命題で今できることを探している。自然を尊重してできるだけ破壊しないでたくさんの人々が幸せに暮らせる仕組みを現代の技術によって実現しようと躍起になっている。現代の豊かさと便利さとの引き換えに一体何を失っているのだろうか。本当のところはわかっているようでわかっていない気もする。
持続可能な暮らし
そこで豊かで便利な暮らしはそこそこ維持しつつ、もっと自然環境保全のためにできることをしていこうとなるわけだけど、そのための最新技術を駆使した方策がことごとくプラスマイナスゼロどころか、むしろさらに環境に対して悪化するようなことが見受けられる。例えば発電。今や電気を使わない暮らしは考えられない。こうしてネットを使ったり、スマホを使ったり、冷蔵庫で食べ物を保存したり、いつでもコンビニに行ってほしいものが買える世の中である。省エネな電化製品やスマホ、パソコンなどどんどん開発、改良されているとしても、それに引き換えてどんどん数は増えていく宿命にある。つぶやいたりインスタにあげる画像をとったり、動画で表現したりするために、どれほど大きなエネルギーが常に必要になっているかなんてあんまり気にしていない。
再生可能エネルギーにしよう
化石燃料を燃やして得られた電気によって、自慢のつぶやきを配信するのを支えている。それをやめて、再生可能なエネルギー、例えば太陽光や水力や風力、日本では地熱なんて使ったりすれば解決するのか。エネルギーはそんな単純な話にはしてくれないみたいね。太陽の光なんてずっと毎日降り注いでくれているから目の付け所がいいと思ったんだけど、光を電気に変えるためのソーラーパネルを作るためのエネルギーは発電できるエネルギーと比べてみると、実はそんなに得していないらしい。しかも大きなパネルを山を切り崩して、森林伐採して設置するのもなんだかもやもやするね。さらにお天気頼みなので、今日は雨降っているのでつぶやけませんなんて許してくれる人は少ない。どちらかというと大災害が起きてのっぴきならないときこそ、安定して動かないといけない運命を担っている。水力や風力も自然が相手だから基本気まぐれである。しょうがないからバックアップ電源として燃料を燃やして維持するしかなくなる。となると再生可能エネルギーって何を再生できるんだろうか。
エゴのかたまりが現代社会
太古の昔の人類の暮らしに戻ることは難しい。風の吹くまま、晴れている日だけスマホを使ってなんて暮らしはもはや想像できない。今日は電車はおやすみです。冷蔵庫も電気が足りないので使えません。病院も治療はおやすみです。大災害を目の当たりにして暗澹たる思いになって見つめている先は、スマホだったりTVだったりしている。何をやってんだお上はとつぶやいている先には片時も止まらないネットワーク機器と巨大なデータセンターが唸りを上げて動き続けている。結局はエゴの大きなうねりしかそこにはない。そのうち「1つぶやき10万円」なんて時代がくるのか、来ないのか。
やっぱりエコはおためごかし
人類は炭素を燃やしてエネルギーを得て、炭素食べて命をつないでいる。その事実をうまいこと見えないようにしているだけで、基本骨格はそういう存在以上にはなれない。神話や宗教上では霞を食べて生きている仙人はいるけれど、実際に探してみるとどうも見つからないし真似して実行できる人もいないみたい。一方でエコなんておためごかしが言えるのも人類だけのようだね。他の生き物はそんな考えすらない。環境に優しいという言い訳をするために頑張っている人類は稀有な存在だから、エコも楽しみの一つにすればいいと思うよ。結局は地球のため、未来のためというよりも、自分のためのエコなんだから。