あなたはどこにもいない

日々

騙す

あなたは余計な見栄やプライドに翻弄されるがあまりにあなた自身を見失っている。プライドを捨てなさいとか体裁を気にしないほうがいいとか一般的にはそう言われることが多いね。ところが、それを気にするがあまりに自らの矜持というか誇りさえも捨ててしまっては、今度はまずいことにあなたがあなたを認めてあげられなくなってしまう。そうなると本末転倒だ。プライドはできれば保ちつつ、自らの信念はできるだけ保持していた方が、あなたはあなたを好きになれるだろう。それなのに、言葉遊びになってしまうけれども、プライドなんて邪魔だと思うがあまりにあなたはいつも不本意なことばかりやる羽目になってしまう。すると、頑張ってプライドや見栄を捨てたのに自己矛盾に陥って、かえって体裁を気にするばかりのあなたとしてそこにいることになる。なら一体どうすればいいのだと途方にくれるのも無理はない。

保身

一般的に余計な見栄やプライドという言葉が指すものは、それをすることの引き換えにあなたが褒められたり、尊重されることを期待していることだ。一方で信念とか矜持とか生き様という言葉は、その他人の評価が入る隙がないものを指す。それらを混同しているから混乱することになる。あなたはあなたらしく生きることによって、あなた自身を愛おしく思うことができるんだけれども、実はいつの間にかそれがすり替わって、他人によく思われたり、褒められたり、ちやほやされたいがためのあなたらしさを演じてしまう。それは全く持って捨てたほうがいいものであり、もっというとそれらが仮に大いに認められて有頂天になったとしても、どこか虚しさが拭いきれないままとなってしまうね。ポイントはその信念が表面的な体裁ではなく、奥深い底から湧き出しているものであるか否かだということだ。

自己愛

それに気がつくと、自己愛とはあなたそのものを愛することではなく、実はその枠組を超越した深淵なるそれだとわかる。そして、それを生き様としたいというその願いは、決して表面的によく思われたいとかという狭隘で表層的なそれではないね。もはやそれはあなただけが幸せでありたいとか、身近な家族や友人だけがとか、そんなレベルではないことに気がつくだろう。そしてそのプライドをよくよく紐解いてみると、実はあなたがそれを欲していたと思い込んでいたけれども、探せば探すほどあなたはその中に見つからない。なんとも不思議なことに、あなたの矜持や信念はあなたという枠なんて遥かに超えたものであったわけだ。だから自らに嘘をついて、それが配慮だったり思いやりだったり優しさだとかは、それこそ捨てた方がいいものとなるね。