アンダーコントロール
科学の神は全能の神
医療や科学が発展して、人類は未知なるものを解明してきたわけで、科学を信奉して夢中になっているのはその功績が偉大だと感じているからだよね。ほとんどのことを科学という叡智を使って乗り越えてきたし乗り越えられるという自信が生まれたわけ。そうするともはや科学的な根拠に全幅の信頼をおいて、それ以外はまやかしで聞く耳も持たないようになる。本当のところみんながなんでそうなるのかということもわからないまま偉い先生が言うことを手放しに受け入れて自分の考えに取っ替えるの。それでもわからないことは日々起こるわけで、わからないからどうしようなんて悠長なこと言っていられず、その道のプロがこれはこれこれこういう仕組みだと思うと解明に全力を上げて問題を解決することに専念するんだ。わからない、未知のことなんて科学の力を持って対処すれば簡単に解明できると信じているんだね。
エビデンス最強
まだわからないことを放っておくのは危険分子であり、リスクファクターだと忌み嫌ってすぐさま原因を解明して対策を考案するんだけれど、それでもやっぱりわからないことだらけ。社会のことは全てお見通しの科学という神様がわからないことがあるなんて思いたくないし思えないわけで。そうすると、あーだこーだと専門家が持論を展開するわけなんだけど、それに対してよくわからない一般ピープルは右往左往するはめになる。現に何がどうなのかわからないことは恐怖であり、どこまでそれを退けるべきなのか、寄り添うべきなのかという判断はまちまちになってしまう。何を根拠にそんなこと考えたのか。これが一番の拠り所となるわけで、単なる思いつきでは相手にはされない。我々が信奉している科学は、エビデンスが最強。エビデンス至上主義ですべて解決するはずなのよ。
すべてはお見通し
大丈夫。大分わかってきているから心配しないで。科学の力を持ってすればあらゆる苦難は乗り越えられ、手懐けることができるから。だって今までもそうしてきたじゃない。連日そう語りかける。でもまだわかってないんだし、できればそんな災いごとには一切関わりたくないっていう思いも膨らんでくるね。だからちょっと動揺して、同じ科学教の信者でも意見が異なる他人が生まれる。そうするとすぐに科学という神のもとで迷える子羊が現れ、それを救うミッションが発生する。なぜかそこで対立したりするんだけれど、戦争と同じで多数派が主流になるときが多いよね。本当はよくわからないけれど、わからないって言えず、ただただ眺めている自分がいるんだけど、それを言い出せずにいることは内緒にしてね。そんなの怖くて言えない、言えないよね。