イマサラポテサラ
もう決まったことだから
散々苦労してここまできた。いろんなことを乗り越えて来て、ようやく決まったことなんだから、イマサラそれをやめるなんていう選択肢はないよね。また最初に戻ってまたイチからあの苦労をしろと言うの?そりゃないぜ。苦渋の日々をなかったことにしろなんてひどい仕打ちじゃない。これまでの苦労が水の泡だなんて認めたくないよ。でも状況が変わったよね。それはわかるよ。よくあることよね。それ、ぶっちゃけなんとかならないのかな。また状況が変わるかもしれないんだし。もうできるところだし。
こんなはずじゃなかった
もうお膳立てはできてるし、始めるときに、もしかして状況が変わるかもって誰も言わなかったし、自分でもこうなるとは想像もできなかったわけだし。ちょっと改良すれば結構いけるんじゃない?なんのためにそれをやるのか。それをやらなかったらどうなるのか。そういう柔軟性は必要なことはわかるよ。わかるけれど、準備万端に一歩一歩着実に進めてきたものは、たいていその前提条件が変わってしまうと、丁寧に進めてきたことほど変化には弱いね。緻密に計算してきたからこそ、これまたひっくり返すなんて面倒だしね。もうこれでなんとか行こうよ。後は野となれ山となれ。昔の人は良いこと言うねぇ。諦めも肝心よ。
目的と手段が入れ替わる
あなたのために、コツコツとイマまで積み上げてきたのよ。中途半端なものはダメだよね、最初の目的からしたらなんの意味もない。意味を持つのは目的が達成されること。でもいつの間にか、とにかく完成させることが目的に変わる。それも下準備に手間ひまかかることほど、急には変えられないよね。それは、何があっても最後までやり遂げるという決断にも大きな勇気が必要だけれども、全部捨ててやめるという決断は、それ以上の大きな勇気がいるからね。結局イマサラっていう発想はどこからくるのかな。よく考えると不思議な言葉。行くか戻るか、するかやめるかなんて未来でも過去でもない、まさにイマしか決められないことなのに、イマから目をそらしてしまう。イマサラっていうパワーワードはいろんな諦めと、目の前の落とし穴に目をつぶって落ちるっていう意味なのね。
気分屋のあなたはイマサラあなたはポテサラがいいって言うじゃない。マカロニサラダがいいって言ってたのに。イマからじゃがいも蒸かして潰してってどんだけ手間かかるか知ってるの?なんて愚痴ぐらいは言いたくなるよね。それぐらいは言わせてよ。