キザギザなあなた
らしさ
あなたはあなたらしさを愛でているようで、実のところコンプレックスでもあるね。いい加減さを豪傑さだと読み替えて、それをあなただと定義したとき、大胆な自分に完全に肯定的ではなくて、どこか繊細さを感じ取ってほしいと思っている。それを一般的には欠点と呼ぶということも知っているので、それを真正面から捉えるのを恐れて、ごまかすことであなたらしさを無理やり演出している。そもそも、それはなんのためにやっているのかというと、他人の目から見てあなたがそれほど欠陥だらけではないというアピールのためでしかない。だから、そんな風に「らしさ」を主張すればするほど、そしてそれを周囲から認めてもらえばもらうほど、あなたは実のところどんどん苦しくなっている。もうそんな嘘はやめた方がいいとわかっているのにね。
一片
自然界に目を向けると、その詳細を観察すればするほど、この世に同じものは何一つないことに気がつく。葉っぱはあなたの中では葉っぱという一括りでまとめてみているし、石ころもどんな形であれ石ころとして一つひとつを見ることを省略している。でもあなた自身は、単なる凡人だと一括りに見ることができずに、なんらかの正当性をいつも探している。そうしてすぐに特徴を見つけられたしても、それが自慢できないものであるという理由でやっぱり見なかったことにしている。あなたが葉っぱや石ころをつぶさに観察するときには、それぞれがそれぞれの特色があって素直に感動しているはずだ。ところがあなたは自分のことに関しては、目をおおい耳をふさいでなかったことにしようとしている。あるいはそれを無理やり演出することで、なんとか価値あるものでありたいともがいている。かけらであることがすでに揺るぎない価値だということも気がつかずにね。
一様
なんとか世間一般の普通になろうとして、かけらであることを隠そうとするなんて馬鹿げているね。あなたの価値はその凸凹で不完全なピースであるからこそのものだ。それなのに、できればそこを凡庸に覆い隠しつつ、ちょっとだけ自慢できる能力もあるよと飾りつけようとする。もちろんそんなものは付け焼き刃であって、空虚なハリボテであることは知っている。だからそのうまくできたハリボテを褒められたところで、虚しさだけが漂うのはまさにそのせいだ。あなたが欠落しているからこそ、自然がそれをカバーしている。まさにそうだからこそ一体であり、一つであるわけだ。そこに真のあなたらしさがあり、唯一無二の価値が輝いている。それを変にらしさを演出すると、すべてが台無しになるのは知っているはずだ。そのまま、ありのまま、凸凹でかけらでしかないあなたを受け入れたとき、真の幸せがそこに生まれるんだよ。