絶望の淵
迷い
このままではいけないと、いつのまにか気がついたらずっと思い続けているね。誰かが言った、何かを手放さないといけないとか、何かを求めなければならないとか、常にその狭間で揺れ動かされている。その突き動かされる衝動の真っ只中であなたはずっと右往左往しているわけだ。そうやって揺さぶられ続けているから、いっときも安心することもできず、ありのままでいようとすることもできず、常に不安定な状況から脱出できそうにない。それらの反動で、このままではいけないというぼんやりとした不安だけが大きく揺さぶられながらどんどん増幅してしまっているわけだ。どうやらこの世とは、何はともあれ前に進もうとか、いやいや立ち止まって考えてみようとか、皆が好き勝手に言いたい放題の状況のことを言うようだ。
どちらでもない
だから、その強迫観念をどちらも捨てなければならない。そうやってしたり顔で近づいてくる人も大勢いる。でもその「捨てなければならない」ということが、すでに強迫観念だし、信じれば救われると誘う教えも仮面をかぶったまさにそれだね。とにかく、成功するためには不断の努力が必要だとか、幸せになるには自他精神が大切だとか、お金を握りしめると不幸になるとか、欲望に振り回されてはいけないとか、そんなことばかりを語りかけてあなたをずっと脅かし続けている。おそらくどれを選択したところで結局は、このままではいけないという不安からは逃れることはできないね。だからもう何も考えずに思考停止して、無になろうとしても、結局無になりきれないから、もはや打つ手なしとなって絶望しかそこには残らない。
新境地
そう、実は絶望的な救われない気持ちになったときが、皮肉なことに一番安定しているし、ありのままに近いね。そのときは、このままではいけないとか、手放すとか求めるとかそんな揺らぎが一番少ないときだからね。もちろん大いに反論があるだろうけれども、常に絶望していることが安定であり、望む幸せに一番近い状態だといえる。まっすぐにありのままにいようともがいているときは、あるべき論に支配され、とても不安定な状況なんだけれども、それすらもどうにもこうにもできなくなった今が、あなたがずっと欲していた境地なんだ。さて、後はその絶望に身を置くことに慣れるだけだよ。絶望を愛せるならばあなたの幸せは確約されたようなものだ。なぜならその淵に到達したものだけが見られる景色こそが幸福の世界だ。ずっとあなたは幸せというものを勘違いしていたというわけだね。