コーヒールンバ
解釈
それについてどう考えるかはあなた次第だ。その良し悪しについては未知のものであり、それ自体が絶対的にそこにあるわけではない。だから十人十色の感想をもつはずなんだけれども、あなたはそれを世間体という他人のものさしに当てはめて判断する癖がついてしまっている。だから、本来はあなたがそれを決める自由があるにも関わらず、これは最高だ、これは最悪だと次々と分類箱に放り込んでいる。そうして、その仕分けられた出来事の量を天秤にかけて、今日は最悪だったとか、これまでは良かったとかという総括をしているつもりになっている。それをやっている時でさえ、どんどん時間は進んでいるというのにまるで今後は何も起こらないかのように勘違いしている。まだ何かが決まったわけでもないし、何かが終わったわけでもないね。
途中経過
すべては途中経過でしかない。けれども結論を急ぐあなたはそれを頻繁に繰り返してしまう。様々な出来事の一面を切り取って勝手に未来を予測し、その結果を重大に受け止めすぎている傾向にある。そういう意味では何も起こってもないし、何も解決もしていないし、何も深刻でもない。まずはその事実を知ることからすべてはリセットされるね。手を洗ってからご飯を食べて、またその手を洗っているような連続の事象の中で、手が汚れたという一瞬だけを切り取って最悪だと嘆き、手を洗ったから問題が解決したとほっと胸をなでおろすようなことをずっと続けている。その永遠の繰り返しの中のワンシーンを良いとか悪いとか、問題発生だとか、解決済みだとかで大騒ぎしているようなものだ。そう考えるとまさにそれらはあなたの感想でしかないね。
最後の最後
そうして、あなたはおそらくその結論が最後の最後に出ると思いこんでいる。もちろん、その時期が来ることは間違いないのかもしれない。でも残念ながらなんとなく気がついたらこの世に生を受けてぼんやりと始まったあなたには、その最後の予感は感じられてもはっきりとそれが認識できるのかどうかは、誰しもがわからないものだ。そもそも生まれたときの記憶も曖昧なのに、最後だけはしっかりと意識を持っていたいなんていう発想もおかしなものだね。なんとなく始まって、いろんな出来事を体験して、おそらくは意識が薄れてゆく中ですべて未完のまま消えていくことだろう。そうしてあなたはまた眠りにつく。もしかしたらずっとこの世は夢か現かの境目をさまよっているようなものなのかもしれない。そうであるのなら、それほど急いで途中経過を総括するのをなるべく少なくした方が、結果的に楽しめると思うよ。慌てないでいいね。まぁ、とりあえずコーヒーでも飲もうよ。