なんの意味もない
装い
あなたはいつからか、どう見られたいか、ということにすべての重点を置いてしまっている。それ自体言うまでもなくあなた自らの人生を選択しているわけではなく、常に他人からの目を意識せざるを得ない状態に見を行くことになるわけだ。だから、かっこよく見られたいのならば、かっこ悪い自分は許せないし、ブランドに身をまといいかにも成功者であると思われたいと切に願うわけだ。誰かがそれをしなさいと言ったわけでもないのに、あなたが勝手にそう思い込むことで、自らをどんどん追い込んでいる。その結果、ああ、なんて自分は不幸な境遇なんだと嘆き、思い通りにならないこの世の中を呪詛の言葉で埋め尽くすことになる。本来生まれ持った幸せなんてどこかに置いてしまって、それに気がつくこともできずに、ただただ自らの境遇さえも呪いの言葉で覆い尽くしてしまっている。
幸せとは
そこにしかない幸せなんて偶像にしか過ぎず、幸せの本質さえも見失ってしまっている。そうではなく、幸せは常にあなたのそばにあるものだし、誰かと比べて大きいとか小さいとかのものさしすらない。すべてが計量可能だと勘違いしているのは、資本主義に染まってしまっているかでしかなく、幸せは誰かと比べた瞬間に意味をなさないものだとも知らないままでいる。そうではなく、あなたがその本質に気がついたときの安堵感も体験することなくせっかくの人生を自ら台無しにして終わるわけだ。あなたはこの世を感じているだけで、あらゆることから切り離された唯一無二の至高の存在だ。それなのにそのことを放棄して、矮小化した競争社会にどっぷり浸かってしまっている。競争社会に正義はなく、どんな手段であっても誰かよりも何かを多く獲得したもの勝ちという、表面的なまやかしの世界であるというのにね。
スピリチュアル
だからその逃げ道としての精神世界も存在するわけだ。けれどもそこが逃げ道とか言い訳の世界であるのならば、単なる競争社会の影でしかない。幸せの本質はとはこういうものだと別の視点で知ったところで、あなたは決して満たされることもないのは、自明の理だね。そうではなく、あなたが今ここにいることが奇跡であるということをどれだけ気がつくかにすべては関わっている。もし、その本質の一端をつかむことができれば、何が起こっても適切に対処できるはずだ。物事や出来事にはなんの意味もなく、ただそれをどう捉えるかということだけがすべてでしかない。良いことばかり続くと思えばそうであるし、なんてついてないないんだと思えばそうなる。すなわち思うが招くという世界がこの世の本質であるということだ。逆に言えばそれ以外何もないとも言えるね。さて、あなたはそれに気がついたとして、どう過ごすかも実は全く持ってなにか意味があるわけでもないんだよ。