思い通り

日々

所要時間

結果がわかるまでの時間やコストがどんどん短縮されてきた。ちょっと前は明日の天気はそれこそ明日の朝になって、新聞やTVで知ることになる。ところが新聞はもちろん記事にするまでのタイムラグがあるので、より最新の情報はTVやラジオでその日の朝になってようやく数時間前の分析が発表されていたね。ところが今ではスマホひとつでリアルタイムに雲の動きの予想が見られる。要するに知りたいと思った情報がタイムラグもなく瞬時にわかるわけだ。それがいつの間にか当たり前になっているけれども、それはかつては当たり前ではなかった。さらに、論文一つ書く作業だって、参考文献リストをまずは作成し、その原本がどこの図書館に所蔵されているかを調べて、わざわざ現地まで赴いて必要な箇所を時間をかけてコピーしていた。それぐらい情報を得るということには時間とコストが膨大にかかっていたわけだ。もちろん現代では言うまでもなくネット上でほとんどの論文を読むことができる便利な時代だ。

タイムラグ

そうやって目的の情報を獲得するのに、タイムラグがあったがためにそのラグのおかげであれこれと予想を立てることも得意だったね。もちろん全く的外れに終わることも多かったけれども、その情報を得るまでの間はワクワクした時間が流れていた。おそらく著者はこういう結論を述べているだろうとか、それに付随する根拠はおそらく誰それの論文を参照しているのではないか、などとある意味楽しみながらさらに深掘りできたわけだ。明日の天気でさえ、予想天気図を眺めて、この気圧配置は数時間後に偏西風の影響で南にずれる可能性が残されているな、などとと予報の修正を予想していたわけだ。低気圧や前線の少しのズレがあなたの明日の旅行の天気を決めるわけだからね。あるいは予想よりも東へ移動する低気圧のスピードが遅くなって、最悪出立の朝はなんとか雨を避けられるかもしれないとか。現代で言うところの不確定でかつ曖昧で、もやもやした時間があったからこそ、あれこれと仮説を立てることができた。

誰がための現実

ところが、瞬時にそれらの情報を得られることができる現代では、ますます思い通りにならない現実に苛立つシーンが多くなったようだ。インスタントに判断材料が揃うがあまりに、あれこれと想像して仮説を大量にたてる必要もなくなった。その一方で、物事の結論もある意味すぐに確定できるようになり、まだ見ぬそうじゃない最悪なケースばかりが目の前に展開されることを知る。まだまだどうなるかわからないよ、なんていう牧歌的な時間はどんどん失われて、そのせいで妄想にふけってワクワクする時間さえもない。さらにそれが自己決定と同一視されてしまうが故に、まったくもってあなたの希望とはそぐわないことばかりに感じてしまう。実はそれはあなたの思いとは全くかけ離れた現実世界だというのに、それさえも気が付かないぐらいのスピードでいわば振り回されてしまっている。そもそも現実で繰り広げられているそれらは、あなたの現実ではないことすら考える隙も与えなくなっているわけだ。そうやって制御できないそれらを自己と同一視することで今日も不幸だと嘆いている。