あなたの力

日々

一体化

良いとか悪いとかの判断基準を探してみると、そこには無条件の調和があるかないかに辿り着く。それを日本語では愛だとか慈悲とか絆だとかいろんな言葉で表現する。けれどもその言葉の表面的な差異にこだわったところでいずれもしっくりこないだろう。まさにその時々の流れに全くもって抵抗することなくきれいに流れ続けていたかどうか、ここがどうやら根本みたいだ。あなたが改善した方がいいと思ったきっかけは、どうも流れに沿っておらずなんらかの抵抗を感じたことによる。そしてその詰まりを解消しようとしてあれこれと対策を講じるものの、あなただけの力ではどうにもできずに周囲に助けを求めてその解消に尽力するわけだ。ところが、そのことが後々にあなたの流れを阻害する原因に変わってしまったりする。それで、もう誰にも頼ることなんてやめようとか思ってしまうわけだ。

光と影

そうやって流れが悪いところを解消するために、そこに光を当てて夢中になる。そのために影の部分も少なからず同時に発生するのだけれども、その流れがスムーズになればなるほど、今度はその弊害としての影が気になって、すべてに対して疑心暗鬼になってしまうわけだ。それを解消するために、今度はそこにスポットライトを当てるべきだとわかっているけれども、なぜかその段になると億劫に思って何もしないままになる。流れはもちろんその箇所だけではなく全体の調和だ。だからあなたは途方もなくきりがないとやや絶望してしまう。それはすべてに光を与えることなんてできないと思いこんでいるからだね。でもよくよく思い出してほしいのは、たまたま気になったその一部にスポットライトを当てて夢中になってそれを解消しようとしていたとき、確かにあなたは幸せな一時だったはずだ。

全体最適と部分最適

物事を俯瞰してトータルデザインとしての対応を求められていると思っている。それはマネージメントの教科書にそう書いてあるからだ。ところがそれは到底あなただけでは手に負えず、周囲の協力なしにはなし得ないことだ。それをハンドリングすることで調和という流れを取り戻すべきだとされている。でもそれを具体的にどうするかまで踏み込んであなたに説明できる人はどうやら少ないみたいだ。そこであなたは天を仰いで自らの無力さを嘆くわけだけれども、そもそもあなたにはその力は備わっていない。しかし、だからといって無力でもない。あなたができる最適化は間違いなくあなたは夢中になれたそれだからね。それだけで十分全体最適に寄与しているから心配しなくていい。逆にあなたはあなたから離れたなにかになろうとするから、独り勝手に絶望しているだけだ。少ししか出来ないと感じることこそがあなたの役割であり、それ自体があなたの人生そのものなんだからね。