クイズ王から逃げる

日々

とにかく逃げる

生きていればいろんなことが起こる。なにもかもが思い通りにはいかない。雨にしたって風にしたって今はちょっと止んでくれるといいなぁ、なんて思うけれどそのとおりにならないね。今じゃない!って叫んでみても誰も聞いてはくれない。そんなことぐらいわかっているよ。だってもう大人なんだから。って知っているつもりでも、心の中はいつも「緊急事態発生」でおちおち寝てもいられない。そういうときは、ほっておくことが一番だと思うよ。とにかく問題から逃げる。決して立ち向かおうとしない。大抵は歯が立たないどころか、どうやって戦うかもよくわからないから。

あきらめる

あきらめるという言葉は明らかにすることらしい。ま、そんなことはどうでもいいとして、とにかく逃げる。ひたすら逃げる。なんか逃げることがカッコ悪いこととか悪いこととか弱いことに結びつけて考えるようになったのは誰のせいだろうか。いつのまにか人間だけそう思い込まされている。問題解決能力が高いと褒められるから、問題は答えを導くものだという条件反射が小さい頃からインストールされている。戦う兵士としてプログラムされてしまっているんだね。だから作戦も勝ち目も何もなくなったときは、気合と根性で立ち向かおうとしてしまう。それだけならまだしも、それでも歯が立たないと気づいたらスタコラサッサーと逃げることを書き換えられているので、なぜか自暴自棄になるまで叫び続けて、最後には疲弊して自己否定、挙句の果てには「パトラッシュ、もう疲れたよ」といってこの世を去るまでがんばってしまう。これは明らかにバグ。自然のプログラムにはそんな処理は存在しない。

ほっとけーモード

すべてをあるがままに受け入れる仏に、自責の念とか微塵も感じる必要もない。すでにバグっている問題解決ルーチンが発動するのは、「俺がやらなきゃ誰がやる」というとき。俺様が心を占めるとき。これは仏モードではないね。仏モードに切り替えて、ただ「見てるだけー」にする。かっこいいとか悪いとか、強いとか弱いとか、正しいとか間違っているとか、卑怯だとか勇敢だとか、そんなものは誰かが勝手に押し付けたルール。問題を見たら解決したくなる癖という病からもスタコラサッサーと逃げましょう。

いつも問題と思しきものはやってくる。それをてんてこ舞いで解決しているつもり。誰もがクイズ王にでもなっている。なんて解決能力に優れているのだろうなんて悦に浸っているけれど、実は問題はほっておくと問題がなくなっているだけ。だからほっておくといつの間にかどこかにいっているだけなの。だってそもそも問題だーって言っているのは誰なのかに気づいたらどっきり。最初から問題なんてなかったのよ。だからそれを問題視する人からはじめは逃げましょう。そして最終的には逃げもせず「ほっとけー」の心になるのねん。きっと。そのためにはまずはそこから逃げてー。