得も言われぬこと

日々

量子力学

近代物理学の雄で、ミクロの世界を取り扱う量子力学がある。もちろん実証実験が可能な部分とそれ以上のミクロの世界に踏み込んでいくと検証そのものが困難になりうまく行かない部分がある。それにしても悩ませているのが解釈問題と呼ばれるものだね。一つの有名な例として、電子はつぶつぶなのか波なのか、その両方なのかという命題がずっと続いている。それらの決着は専門家に任せるとして、あなたが見ている世界の大きさまで戻したとしても、それをどう応用・類推するか、といういわば哲学的な判断に最終的には帰着するとも言えるね。長年の観測者問題などと言われるものはすべて、観測したら結果が変化するという不思議な現象であり、それはマクロの世界ではほとんど起こらないけれども、ミクロな世界ではしばしば起こるようだ。これら科学的実験結果は何を示唆するものなのだろうか。

精神世界

科学的、物理的な世界に対して精神世界は軽視される傾向にある。占いとか風水とか縁起を担ぐなど多種多様にこの世に存在しているけれども、科学がそれらに取って代わって久しい。かつてはよくわからないけれども、なにかの怒りに触れたとか、気の流れが悪くなるとか、そんなものを本気で信じていた時代があったのは事実だし、おそらく世界でも未だにそれらの風習に則って暮らしている民族も残存しているだろう。習慣や風土としては神社仏閣に何かを感じていまだに訪れる人は多いし、初詣とクリスマスなどのイベントを無条件に受け入れている人も少なくない。そういう意味ではゆるやかで穏やかですべてがおおらかであり、おそらく世界でも稀に見る多様性がそもそも担保されている国だとも言えるね。その中で武士道や茶道などに通じる「道」がすでに体系だって存在しているのも無関係ではないだろう。

中道

多様性をそもそも受け入れる暮らしの中では、極端に偏りがあると軋轢ばかりでうまく行かない。だからそれらを共存させる方法を多くの人が習得し上手に運用しているのが、「おもてなし」であり「心遣い」であり「謙譲」と呼ばれる古来の文化だ。生き馬の目を抜く競争社会では、それこそ自己アピールが不足しているだけで埋もれてしまう恐れがあるのにも関わらず、あえて腹八分でとどめてそれ以上は一歩身を引くことで絶妙なバランスを保とうとしている。そもそもそういう能力を後天的に兼ね備えるような国は、おそらく世界中でも稀有な存在だろうね。だからといって、Japan as No.1と言いたいわけではないよ。そうではなく、昨今の欧米から押し付けられた多様性など声高にあえて言わなくても、そもそも多様と個性をバランスよくハンドリングしてきた文化にも気づくことができればいいね。まさにあなた以外の他者や様々な出来事をどう解釈するかの、その解釈方法の真骨頂がそこにあるね。