笑いは裏切り
安定
ちょっとしたアクシデントがあって、それらを冒険活劇のように次々と対処・解決してワクワクして過ごしたいと思う一方で、何事もなく無事で安定的な暮らしがずっと続くことを望んでいる。そんな相反する2つの命題を実現できるようにあなたはどっちつかずな方策を考えている。けれどもやっぱりそれはうまくいく手応えみたいなものが全くない。よくよく考えれば無理もないことなんだけれども、実に真面目な顔をしてそれが幸せだと信じて疑わない。そんなあなたを少し遠くから見ている誰かはきっと呆れているだろう。つい先日笑いの真髄みたいなものがSNSで話題になっていたようだが、オチが読めないから面白く感じて人は笑うのだけれども、オチがすぐにわかってしまったら笑いたくても笑えない。そう、予想外の展開が笑いの絶えない状態を生み出す一方で、定番のオチがわかる生活はそれはそれで安心・安定を生み出すわけだ。
裏切り
たいていは期待を裏切られて失望して笑えない。ところがそれは逆で、思ってもいなかったことが続々と起こるのがキラキラした毎日なんだ。その要点としては、それを笑えるか笑えないかだけがあなたに任せられている。あなたに余裕があれば、それを真正面から受け入れて、その出来事に対してできることを探し淡々と対処するだけだ。ところが、なんて最悪でついてないんだと悲観にくれてしまうと身動きひとつできなくなる。全てに対して消極的かつ懐疑的になってしまって、世界がすべて灰色に塗りつぶされてしまうからね。でもその犯人は実はあなたがそうしているだけで、違う誰かにとっては大きな喜びと希望としてそれをとらえている。その違いはほんの少しの余裕というか余白が残されているかどうか、それだけですべてが決まっている。
赤子のように
生まれたての赤ちゃんは、何がどうなってもそこに変な意味づけをしないせいか、あらゆることをまじまじと見つめ、そして笑っているね。コップの水がこぼれて大惨事になっても笑っているし、自らがうまくあつかえなかったものが落下するだけで楽しそうだ。それに比べて大人のあなたはどうだろう。生きることそのものに不必要な地位や財産をできれば独り占めしたいと虎視眈々とその機会を狙っている。もちろんその多くはあなたの思い通りどころか、全く逆の結果ばかりで失望から怒りに変わって混乱している。生まれたての赤子とあなたとの違いはなんだろう。赤子はやるべきこともなく責任もなく、親の庇護のもとすでに安心しているからだと反論したくもなるだろうけれども、ではあなたは全くの孤独なんだろうか。気に入らないかもしれないけれどもあなたをいつもフォローしてくれる同僚や、あまり好きではないけれども生きる糧を得られる会社がすでにあるわけだし、そのおかげで明日の食に困っているわけでもない。あなたが不満なのはそれが毎食豪華ディナーではないということだけだ。そんな予想外のことを笑うのが本来の姿だとしたら、あなたはかつての赤子から一体何者に変わってしまったのだろうね。