不自然な幸せ
つかず離れず
物事をうまく運ぼうとしてあなたはずっとそれにつきっきりになっている。するとなぜかどんどん思い通りにはいかなくて、手を加え続けることになる。それでどうにかこうにかうまくは行かないまでも酷い結果は避けられたと胸をなでおろしている。でも実はそれは逆効果で、全く持ってあなたの手心はすべて邪魔だったわけだ。スムーズになんの淀みもなく物事が進んでいくときのことを思い出してみてほしい。それは、あなたが何かをする余地もなく、ただただ勝手にあれよあれよと言う間にすべてが順調に流れていたはずだ。そう、すべてがうまくいくときは、あなたは必要ないということだ。それを知っているにも関わらず、うまくいくようにとあなたはずっと目を離せないと思い込んでしまっているのはなぜだろうね。
無理
道理を引っ込めると無理やりとなって、結局のところ失敗することが多い。十分その体験をこれまでしてきたはずだし、そのジャンルにおいてはプロフェッショナルなあなたであるはずだ。ところがまた同じ過ちをずっと繰り返してしまうね。あなたが何もしないときが、すべての物事が首尾よく進んでいくという事実を、あなたは頑なに拒否しているからだ。それはあなたがそれらのことに関わっていたからそうなったと主張したいという、自己顕示欲をどうしても手放せないからだね。功績とか名誉とかにこだわるがあまりに、それによって放っておけば自動的にうまくいくようなことを、わざわざかき乱してしまっている。そう、実はあなたが一番の邪魔者であることを認めないからそうなってしまうわけだ。
手放し
だからこそ、すべてを手放しなさいと先人が伝えている。うまくいくとか、誰かをどうにかするとか、すべてが阻害要因であることに間違いない。そうではなく、すべてを真の意味で委ねることが、自然の流れに沿ってなるようになっていく。もちろんあなたの望むそれとは全く違ったものになるかもしれないけれども、そもそもあなたが思うそれは、先の虚栄心で歪めた結果のものであって、それが仮に実現したところで不自然な状況でしかない。だから泡沫の夢となって即座に消えてしまうね。不自然なそれはほんの一瞬に形作ることができるけれども、やっぱり自然ではないので破壊されてしまうわけだ。それはむしろそうなるべくことであり、そんなことばかりを望むがあまりに不幸だと嘆く結果になる。それは本当に不幸かと問われればすぐにわかるはずだ。そんなものを逆に言えば幸せだと言うほうがどうかしているね。