あなたはいない

日々

水を飲む

最近はめっきり暑くなってきたね。季節の変わり目で急に気温が上がると生活習慣が追いつかず、適切にエアコンで気温を下げたり、意識して水分を補給することを忘れてしまう。だからこの時期は毎年熱中症になってしまう人が多くなるようだ。今や情報社会なのでそんなことを言われてなくも知っている人は大多数だろう。でも毎年同じ傾向にあるのは、知っていることと実際に実行できることには乖離があることの証左だろう。あなただけは十分わかっているから大丈夫だという根拠のない自信がある。もっと言えば自分の身体のことは自分が一番知っているという奢りがそこにあるわけだ。自らの身体に聞いて行動できれば、なかなかそうはならないけれども実は加齢とともにそのギャップが大きくなっていることすらわからないというのが実情だろう。

自己評価

そうやって、どこかで聞いたことがあるアドバイスは誰にもできるけれども、実際にはあなただけは特別だと思っている。頭でわかっているわけだからまさか自分がそんなミスをやらかすことなんてないと思っている。それが多くの場合のミスであることに気がつくだろうか。身体の声に従っていればそれは自然に対応できると思い込んでいる。でもそのセンサーは確実にポンコツになっていることすら自覚がないわけだ。そもそも自分を中心に生活している中で、実は自分がすでに劣化していることに気がつくのは相当難しいことだからね。そこでそれに対応するとしたら、まずは自分自身を疑うところから始まるわけだ。でも拠り所の自分を疑うなんて、やってみればわかるとは思うけれども、それほど簡単ではなくむしろ手心を加えてしまうからかなり過大評価の傾向にある。

あなたの影

水飲み場に連れて行くことはできるけれども、実際にそこで水を飲むかどうかまでは強要できない。アドバイスはそういう限界がそもそもあるわけだ。これが正しいと言われてもなぜか懐疑的な気持ちが先立って、遠慮してしまうことが多い。そこで全面的に信頼して言われた通りにやれるかどうかが生命線でもあるにも関わらずだ。その原因は先の自己の過大評価のせいだね。なぜかあなたはあなたのことの専門家だと思いこんでいる。客観的な視点を加えるとすれば、あなたはあなただけであなたを認識することなんでできない。必ずあなた以外の何か他のものがなければあなたという概念自体が生まれないわけだ。あなたの正体は、あなたが思っているのと全く異なっていて、実はあなた以外の集大成というか影の部分でしかない。それがわかれば、あなたがこだわるあなたらしさなんていうのも、あなただけから生まれたものではないことに気がつくことができるかもしれないね。